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生きる基本の教育について考えた

今日、姉と何気なく話をしていて興味深いことがあった。今年春に法学部の大学生になった甥っ子が、なかなか大学での授業がわからないという。それを聞いた姉は日本の子どもたちは、政治・経済・お金・法律・憲法のことをしっかり学んでないからだということを改めて思ったそう。

たしかに、わたしも学生時代、ちゃんと習った記憶がない。神話の内容さえ、天皇のことさえしっかり学ぶこともなく、なんとなく知っているというぼんやりとした状態のまま、大人になってから独学で学んでいったように思う。そして、甥っ子と同じく、かくいうわたしもこの歳になっても未だに政治・経済・お金・法律・憲法についてよくわかっておらず勉強不足である。
わたしは数年前から会社勤めから個人事業主となったこともあり、特に経済やお金に関して否が応でも考えざるを得ない事が多く、今更ながらそれらについてもっと学んでおけばよかったと日々思うことが多い。

政治・経済・お金・法律・憲法(あと宗教や死生観)これらすべて、"生活そのもの"なのに、なぜか、それらについて興味関心を持ち話すことは日本では堅苦しい生真面目な人、面白くないみたいなイメージを持たれて、フランクに話題にする雰囲気が薄い。その代わりに、テレビなどで話題になったことや世間での流行りや他人の噂話や芸能人のスキャンダルなどどーでもよいことばかりが話題になったりする傾向がある。もちろん、それらも楽しいけれど、さほど重要なことだろうか?これはとても残念というか深刻な問題でさえあると思う。いつからこんなに日本人は生活の土台となる学問を考えなくなってしまったのだろう…

しかしながら、それは小学校からの義務教育に起因しているように思う。そのくらい、わたしたちは生きる基本と言えるものをなぜか学ばされずに育ってしまった。そして、そのことに大人になって生活するようになってからじわじわ気づく。かくいうわたしも若い頃はそれらについて無関心で他人事だった。

日本では最近でこそ男女平等の名の下にまだまだとはいえ女性の社会進出がそれなりに進んだが、その一方で専業主婦(主夫)であることに引け目を感じ生きづらくなっている人も多いようにもおもえる。男性も女性も自立することは基本でありとても大切だ。けれど、それは精神的に自立することが重要であって、必ずしも物質的にも自立しなければならないわけではない。逆に物質的にいくら自立していたとしても精神的に自立していない人も多い。人には向き不向きがあり、適材適所がある。みんなが全て同等に働き収入を得る共働きをすることが正しいわけではない(性別関係なく)。改めて、専業主婦(主夫)について考えた時に、本来は家庭という小さな単位の"組織"を切り盛りして経営して経済を回している立場ともいえ、それは会社経営と似ていると思うのである。それらは仕事をして収入を得ること以下の価値と言えるだろうか?もし、しっかりと経済やお金について子どもの頃から学んでいたとしたなら、専業主婦(主夫)として家庭を運営することを、もっと誇らしく思えるのではないかと思う。そして、パートナーも"誰のおかげで食わせてもらってるんだ"みたいな暴言を吐くことはないだろう。

そんなことをなんとなく思った。

まだまだ思うことはあるが、この辺で筆をおきたい。改めて教育は基本であり、日本の教育の見直しは急務なのではないかと日々思う次第である。

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