“自分を生きる”ということ「映画『his』」

ここ数日の例の報道の中で、ひそかに株を上げていた俳優・宮沢氷魚さん。
俳優に疎い私は、どんな方だろうと調べたその当日に公開初日だと知った主演映画「his」を、勢いのまま観てきました。

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井川迅は、大学卒業を控えた頃、同性の恋人・日比野渚に一方的に別れを告げられた。
それから8年、迅は周囲にゲイだと知られることを恐れ、田舎でひっそりと自給自足の一人暮らしをしていた。
そこに突如、渚が6歳の娘・空を連れて現れる。
妻・日比野玲奈と離婚と親権の協議をしている渚は、迅の元にしばらく居候させてくれと頼む。
かつての恋人とその娘との同居生活に戸惑う迅だったが、次第にその生活がかけがえのないものとなっていく。
三人で暮らしたいと願う迅と渚だが、離婚調停が進む中で、改めて自分達を取り巻く環境に向かい合うことになる。
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以下、ネタバレを含む内容の為、閲覧にはご注意下さい。

  

私は、この映画は「自己開示」の映画だと感じた。

ゲイであることを隠し、周りと関わりを持たずにひっそりと生きる迅。
家庭を持つことで、ゲイである自分も周りと同じ生き方ができるのではと思った渚。
母親と折り合いが悪く、離婚のことをなかなか言い出せず、協力を乞うことを最初拒んでいた玲奈。

それぞれが、自分らしく生きることと、「普通」に生きることの間に葛藤しているように見えた。

空の何気ない一言で、村の人達に迅と渚がゲイカップルではないかと疑われた時、迅は最初、一人田舎を離れようとした。
空の親権を取る為にこの村で職を見つけ、持ち前の社交性で村人達とも馴染んでいた渚と空が、好奇の目で見られない為、そして自分がゲイであることを知られない場所で改めて生きる為か。
そんな迅達をいつも暖かく見守ってくれていたマタギの緒方が急逝した時、緒方の通夜の会場、村の人達が一同に集まった場で、迅は自分がゲイであること、渚を愛していることを告白する。

「周りと親しくなると自分のことを話したくなる。でも、話したことで親しくなった人達が離れていくのが怖い」

この迅の言葉は、LGBTの当事者に限らず、「自分はどこか人と違うのではないか」と考えている多くの人達の普遍的な感情かもしれない。
人と親しくなるのが怖くて、ならば誰とも親しくならず、自分を見せずに生きていく方が楽なのではないか、と。

それでも、噂が広がった直後の緒方の「好きに生きたらええ」という言葉、そして空の「迅と渚が好き同士なのは変なことじゃない」という純粋な言葉に後押しされ、村人に全てを話した迅。
その時の村の人達の反応が、私がこの映画の中で一番好きなシーンだ。(ここは是非実際に映画館で観てほしいところ)

よく言われる田舎特有のコミュニケーションの濃さ、噂の広まり方などが垣間見られるシーンが所々に挟まれていたのだが、本当に心を込めて自己開示したら、案外良い結果を生むのかもしれない。(もちろん実際はそうではないこともあるだろうが)
この時、「都会から来た、若くて好青年だが、どこか排他的で得体の知れない」迅が、この村の一員として本当に受け入れられたのだと感じた。

 

一方、「将来が見えない」と迅に別れを告げ、女性と結婚して子供を儲け、「普通の社会の一員」として生きる道を選んだ渚だが、やはり自分がゲイであること、そして迅のことをずっと忘れられずにいた。
迅の所に現れた当初は、ヘラヘラとした様子であまり深く考えず振る舞い、迅を苛立たせていた渚だが、玲奈に空を連れ戻されてしまった夜、迅に自分の本当の気持ちを告げる。
迅や玲奈への罪悪感を抱え、自分の気持をずっとごまかし続けてきた渚が、本気で伝えた自己開示が、止まっていた二人の時間を動かした。
その後、迅も、ずっと渚を忘れられずにいたこと、「渚と空ちゃんと三人で暮らしたい」という気持ちを伝え、二人は空の親権を取るために本気で行動に出る。

 

そして渚の妻・玲奈は、通訳の仕事をする、まさにキャリアウーマンという女性で、渚と空と暮らしていた時は、渚に家事育児を任せ、自分が働くことを選んでいた。
保守的な母親とは反りが合わず、周囲に弱みを見せられず、渚に裏切られた悲しみも、娘を一人で育てなければいけない苦しみも、一人で抱え込んでいた。
渚と別居し空を連れ戻した後、仕事も家事育児も一人で行おうとしてキャパを超え、空に手を上げてしまうこともあった。

最初玲奈が登場した時は、とても気の強く、渚を見下すような女性に見えた。
しかし、四面楚歌の状態の中で、誰にも甘えられず、助けを求められず、それでも愛する娘と生きる為、歯を食いしばって生活していく玲奈の姿は、今を生きる多くの人達に相通じるのかもしれない。

その玲奈に向けた、法廷の場での渚の謝罪の言葉が、とても心を打った。
自分たちだけが弱いわけではないということを渚が理解し、真摯に玲奈と向き合い、心から謝罪したことで、初めて渚と玲奈の心が通じ合ったように見えた。

そんな玲奈だが、最後の最後に、迅にだけほんのちょっぴり弱さを見せた。
ほんの些細なことだが、もしかしたら今後、玲奈も少しずつ自己開示をし、また新たな展開があるのではないかという希望を感じるラストだった。

 

「好きだけでは、どうしようもない」というテーマのこの作品だが、これはLGBTに限らず、そして恋愛に限らず、自分がどこか世の中と共存できていなのではないかと感じる、いろんな状況の人達の心を動かし、考えさせられる映画になると思う。
自分の弱さや本当の気持ちを伝えることの怖さ、そしてそれを乗り越えた時に見える景色は、必ずしも素晴らしいものとは限らないけど、自分の世界を大きく動かす為の、新たな一歩になることは間違いない。
様々な葛藤を抱え、それでも自分らしく生きていきたいと願う、多くの人達に観てほしい作品だと思った。

https://www.phantom-film.com/his-movie/index.html

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