しゅーかつ

生きようとしている自分が恥ずかしいのかも。
良い枠を得ようとしている自分が恥ずかしいのかも。
いきていていいよって全て息を吹き込まれないと立ってられないのかも。
でもきっと自分で立てる

恥辱と惨めさにまみれていて、そうです、死んでしまいたいぐらいですと首を垂れたところで
別に死んでくれと言っている人がいるわけでもない(そしてそんな人がいたら怒るだろう)
となれば自分が愛や哀れみを乞うているようで申し訳ないのだが…


気分変調性障害の本を読んでいる
自分がそれであれば救われる気はする

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