誰にも理解されないのだとしても

私は結構なめんどくさがりやだ。
めんどくさい。もうさっさと安楽死ができてあなたの肉体は生きたい人々に提供されますと言われれば、私は恋人も友人も裏切ってスッとサインしてしまうかも、という気持ちは、ずっと取れない。

そもそも不謹慎な話だが、病人に憧れている。
兄はいじめられて精神が更にねじまがり、そして腎臓病で重いアトピーで不眠症だった。そのせいで兄が食事中にどんな呪いの言葉を吐こうとも、包丁を持ち出そうとも、襖に穴がボコボコと開こうとも、私は「あなたは健康なのだから」とか「海外には空爆に耐える子もいる」みたいなわけわからない言葉で親から後回しにされてきた。学校のカウンセラーに話をして、施設なりなんなりに保護されていた方が、私は幸せだったのかもしれない。ちくしょう。
しかしここまで文章を読んだ人なら分かると思うが、そもそも家庭がおかしい。病人だからといって他のきょうだいを無視した扱いをするべきではないし、小学生の私が抱いた病人になりたい(つまりは大切に扱われたい、1番目に扱われたい。苦しみを分かってほしい)という願いも訳の分からない願いなのだ。

親がいかに兄弟を語るときに目に涙を浮かべていたか。
私はそれを見ていた。私には向けられることのない感情を、庇いを、向けられていた。兄も俺が悪いって言いたいんだろうと訳の分からない話をし、母は庇い、もうめちゃくちゃだった。

いままで病気の診断名をもらったことはない。
布団から起き上がれなくなったりなんだりしたが、なんというか「大丈夫」のラインがかなりおかしい。人生がずっと低空飛行なのだが、ギリギリでいつも生きていたし、家庭を庇うために「大丈夫」と言い続けたせいで、なんかもうなんもかんも良く分からないのだ。

なんかでもとりあえず自責が止まったら、ある程度空っぽになっちゃった。
みんなこんなに頭からっぽで生きているの?不思議な感じだね。

なんというかいまだにもうめちゃくちゃ助けてほしいし分けわからないしなんもかんもやめたいけど。
でも合う環境があるのならその場に居たい。
相変わらず若干自分が世間とずれているのではないかみたいな感じはあって、それによって人を不快にさせている、という気持ちが時折私の肌を潮風のように撫ぜる。
いやまぁしかし生きていかねば。正直眠れる性格だし、部屋が恐ろしいことにはならない、ので、まだ生きていかねばならないのだろう。
自殺の失敗率を糧に、痛い思いや恐怖を感じないことを許して、その結果生きたり働いたりしなければならない自分を正当化していく。

でもなんだかんだ努力家なので、最近自分をほめるミニノートを作って、そこにやったことを書いています。

「大丈夫」としか言えなかった自分の横で、ぼんやり膝を抱えてたりするが、なんかどうやら大丈夫らしいっすよ。

どうにもならなくなったら、全てよ、やさしく俺を包んでおくれ。

みみっちく後ろ向きな自分に対し、それでも生きていかねばならんだろう何をぐずぐず言ってるんだ、という自分はいて、申し訳ないとか思いつつ、だるく、怯え、落ち込む自分もいるけれど、そんな自分さえ認めてあげるしかないらしいっす。今は充電がとても減っていて、段々充電漏れを減らしたり充電を増やしたら、元気に色々活動できるはずっす。
馬鹿で愚かな自分も愛おしがっていいらしい。可愛いね、哀れだね。

勉強をしてたらムズムズして来て、だからこの逃げの文章を書きました。
勉強を再開します。

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