今日があんまり楽しかったので今日が終わるのが悲しい

我ながら、RADWIMPSの歌詞じゃねぇんだよと笑ってしまう。それでもあんまり幸せだったので、幸せを無防備に感じたあとはきっとまた無くなってしまうのだとこわくなって、家に帰った後少し泣いたりしていた。
アリ・アスター監督は不安症らしい。私も不安症かなと医者に言われた。不安になった時は、アリ・アスター監督が考えそうなことだ、と思って自分を俯瞰してみたりする。
今日が終わってしまう前に彗星が落っこちてしまってみんな死んでしまえば誰もさみしい思いをしなくてすむのに。そういうことを考えたりする。
ケーキみたいに幸福で、あまりに怖くなってメソメソと泣いたりしている。普段食べない量の砂糖のかたまりがどこまでも幸福で痛い。酒が入ると地が出るというが、人の前でけらけら笑っていた私も私だし、家に帰った今べしょべしょに泣いているのも私だ。
幸福がなくなってしまうのが本当に怖い。
裏を返せば本当に楽しかったんだね、と自分を慰める自分を横に置いて、そうだよと怒っている。
28才の最後の日がそうして終わる。また一年生きなければならないのかと何回思ってきただろう。今年はそう思わなかった。春と夏も秋も冬も生きて重ねたい。今年の目標は死なないことかなと言った。それくらいならほとんどの確率で叶えられそうだったから。
がっかりしたくない。
嬉しそうな好きな人を見ていると嬉しくて、このわけわかんない理由で泣いてる私を見て困惑させたくない。もし泣きながら電話しても、好きな人ならべつにいいよって言ってくれそうだけど。
あなたは怒らないから好きですなんていうと変だけれど、生きているのを許されているみたいでやっぱりかなしくてうれしい。
涙が落ちますがアステカ的にはきっと宇宙が循環しているのです。

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