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自分の味方になる

ずっとクラファン開始の頃からおいかけていた三森みささんの漫画が発売されていて、読んだ。
フラッシュバックやままならないものも、治療によってなくなるという。
その漫画の中でも自助会や棚卸しによってかなり時間と費用が節約できたと書いてあるので、自助会は続けたい。
治療の中ではインナーチャイルドに触れたり、自分のパーツ(怒る私のパーツやビビる私のパーツ)を統合し、過去のトラウマのきっかけの自分を救いにいったりする。
電子書籍版は500円なのでオススメです。

その後こちらのyoutubeを見ると、案外的を得たことを言っているなと思ってびっくりした。私は割と相談者のような性格だからだ。
一回のカウンセリングで結論を得ることは複数回の治療からしたら流石に早すぎる気もするが、内容としては多分そうなのだ。

私は家族に感情に寄り添ってくれるタイプの人はいなかったし、笑われることも多かったように思う。主張しても通ることは少なく、親の機嫌や面倒くさで跳ね除けられ、私は主張も考えも少しずつ内にこもるようになっていった感がある。
でもそのまま続けていっても、依存的で与えられることを求め続けていってしまうのだろうなと思う。
そして与えられても、今度は与えられなくなることに怯え続けるのかもしれない。

「こうしたほうがよいのでは」を勝手に出しては、自分との違いの大きさに呻いて苦しむ。
自分の望みもよく分かっていないのも苦しみなのかも。安心感がないから、なにもかも完璧な姿を描いてしまう。
働き、金があり、そして親に認められ、親の悲しみさえカバーしてしまえる力。そして自分も幸せになりたい、というのは順序が違うのだろう。

自分のものすごく恥ずかしい過去のズレた行いには恥ずかしくて火が出そうだが、ムーンプランナーさんの質問箱は優しい。全ての投稿まで全て読んだが欲しい言葉があって動揺した。ありがたい。自分からは投稿せずに何度も読みたい。

自分の話を最初から最後までして、あなたのせいじゃないよってたくさん言われて、その果てにエクソシストみたいに浄化されて真人間になりたいという欲望は、多分もう違うのだ。

過去の自分は大人や機関や仕組みに救われるべきだった。ほぼ全部終わってしまって、その傷を全部知っているのも、その傷で痛いのも、そのせいでおかしくなった部分も、最初から不都合な性質もあるけれど、私は安らかになりたい。
死ななくても、安らかに日々の労働や日常で喜びたいのだ。

自分の味方になってやること(親はなってくれなかった。でも、私は自分の味方になってやることができる)
神(または大いなる存在)を信じること(自助会のACの12ステップで、棚卸しは辛すぎるから神を信じないと苦しくてできないと言う声があった)

安定感がないのが私のせいでは無いとして、環境のせいだったとして、私の中に味方がいないのが環境や家族のせいだったとして、これから変化することを願い、行動してゆけば良いと思いたい。

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