人生振り返り ACやらなんやら

ストラテラ(発達障害の薬)を飲んで2週間経った。
基本的にポジティブな効果が出ている。常人ってこんな感覚なのか?という面が少し出る(遅刻はなおってない)。
朝1錠から、朝夕2錠になるらしい!そういうものなんだな〜。
人生振り返りメモ

▪️幼稚園前
公園に連れて行ってもらった記憶は一応ない。兄と弟が2歳ずつ離れている。

▪️幼稚園
ここらへんからやや記憶がある。他の子と遊ぶと相手のルールに巻き込まれるのが嫌で、先生に見てみて!をしに行ったり、工作をするのが好きだった。運動神経が悪いのと、そのため運動してもビリになるのがイヤで運動をあまりしていない。プールとか楽しい。
当時のアルバムを見たら病院の絵が描いてあった。兄が長期入院していた時期だろうか。私はさみしかったのかも。

▪️小学校
小2あたりから、学校ってそんなに楽しくないのでは!?と思い始める。女子の会話についていけず、とはいえ成績はまぁ壊滅的ではなかったのでそれなりに…といった感じで過ごす。学校生活は楽しいかというアンケートにバツをつけたら屈強な担任の先生に呼ばれ、ビビりたおす。途中からオタクの友人が一人でき、逃げ切る。
父の趣味でパソコンを触れた。漫画を買ってもらえず、暇でエロコンテンツに入り浸る。いま考えると脳に良くない。

▪️中学
地元の公立のため持ち上がり。車社会の田舎で、ヤンキーというか親が虐待をする家庭もあり、荒れているのが気になる。図書室が好きだった。運動部では上下関係が厳しく、逃げ出す。やや不登校の時期もあったが卒業。兄はいじめれて精神を病み、家庭内も荒れていた。

▪️高校
小中世話になった友人からの依存を脱却せねばと頑張り、個人塾のおかげも大きく入れた。
一年目で全く友人ができずぼっちでやばかった。
文芸部に入り楽しい。図書室に入り浸る。
家に警察が来るぐらいに兄弟がこじれる。刃物を持つ身内の家に一人で置いてかれるトラウマ。

▪️大学
よい大学!偉い!から、ここから先は自由系だよ!の価値観に適応できず、また陽キャをなぜか目指し、普通に無理で病む。同人活動を楽しむが、ゲロ吐きそうな感じの限界感も大きかった。起き上がれずに一日泣いて過ごしたり、泣きながら運転免許をうつ状態でとったりした。地震でメンタルが死ぬ。温情で卒業させてもらった。

▪️卒業後
メンタルボロボロの中実家に戻り、バイトをしたり派遣をしたりハロワの職業訓練を受けたり正社員になったりする。いろいろあって会社を辞めるが、兄が灯油を被ったショックも一因と言えるかも。
大学資金をかけて貰ったから正社員で働かねば、という気持ちと、私にはとてもできない、という気持ちで苦しむ。親からは大学出た事は気にせずに、と言われる。

▪️転職後
相変わらず死にかけつつも手首切れないみたいな落ち込みの日々が長いが、自助会に繋がったりしてなんとかなる。

痴漢を受けて不安定になっていたら、その結果兄が不穏になり、実家にいられなくなり一人暮らしをはじてる。

実家では兄が体調によってかなり不機嫌でものにあたることもあり、内心怯えていたことにも気づく。
母も機嫌屋で、べたべたされるのが嫌いで、毒舌だったり、私を守ってくれないことに気づく。父も育ちもあるとはいえ異常な無関心だと気づく。

薬の力を受けてまぁまぁなんとかなっていく。
自己嫌悪でずっと苦しんでいたが、割と楽しいことにフォーカスしていくこともできるようになっていった。

昔受診途中でして母にキレられ分からなかった私の発達障害について、私が家を出た後に兄と弟も受けて兄は手帳がもらえるかも、という話しを聞いて、なんやねんとなり自分も受ける。
診断が出たので飲んで行っている最中。


激しい感情の起伏が薬でマシになってきている感じがある。
自助会はAC系で通っている。問題は起こったりなんだりするが、吐き出せたり、悩んでいるのが自分だけではないことを知れたのは、「私の苦しみは私のせいで努力不足だ」とは思わなくなってきた。
ポリヴェーガル理論などの本なども読んだり、吉良久美子さんのyoutube(エネルギー漏れ)、ムーンプランナーさんの質問箱の閲覧に助けられる。

ふつうであるために「大丈夫です」といって家庭が施設などで分断されないようにと苦心し、その反面自分が楽しいことにも飛び込めないし、苦しみ続けることにも嫌になっていたが、方々に助けを求めたりして、最近やっと死にたいみたいな選択肢は薄まってきた。

家族をなかよしに!そうでないと自分は誰からも結婚相手に選ばれないし、そうであれば社会的に終わるし、離婚しても大丈夫なように手に職をつけ、職場でも苦しまずに!みたいな自分への縛りを解消できた。

自分の好きや幸せの形は親とは違うと思えるようになってきたし、今後にも期待。

家を出るのは本当によかった。攻撃する側に同情し、同調し、体は苦痛が出ておかしくなっていたし、母もただの被害者ではないと気づいてきた。

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