堀辰雄『菜穂子』 感想
母親のその思想によって内在した自身の生を揺さぶり足る仮象は菜穂子にのみ客観視され存在し、他者からは虚像に過ぎないそれへの反発を依代にした精神に生ずる孤独が自身以外に理解し得ない必然の哀憐な生の中、それを理解出来たのはかの母の思想に憧憬を抱き且つ相反する死の性質を持つ明だったかも知れない所に俺みたいな俗物がロマネスクを感じる。という読者が受けるであろう印象すら対比に落とし込んでまで菜穂子の孤独、即ち彼女に巣食う母の影を際立たせたのに、最後に彼女がその孤独から脱却する為の淡い希望を寄せたのは対照的であったにも関わらず母への反発の兆しを見せた圭介という、母親の呪縛から解放されようとする意志すら鏡像と化した母親の仮象に支配されている。精神の根幹に蔓延る母の影を業の様に背負い、その虚空を抱えたまま食堂へ向かう(人生が続く)菜穂子の哀れさ。病床に臥しながらも確信的と言える思いで後世に自身の夢を託し(つまり孤独の対比)人生を終えた明の輝き。つまり人間は夢やロマン無くして有り得ず、それへの反発は禁忌に近いバグを修正するかの如き袋小路へと陥り精神を殺す(肉体が死んでも精神が生き続けた明とその正反対の菜穂子の状況がよりそれを強調している)ことを説いてたら、いいなぁーーーーーー。
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