腕時計に関してはもうその存在を許すしかない。

狂ったように部屋を掃除していた。
2週間程度。
毎日ほとんど睡眠もとらずに、ただ部屋を片付けなければいけなかったので片付けた。

最終的に、自室の床の上にあるものは掃除機と敷布団以外無くなった。

嫌になってしまったのだった。
「部屋に『いやな』ものがある」ことが、我慢ならなくなってしまった。
大学時代に使っていたベッドの枠も、引き出しも棚も、子供の頃から使っていた勉強机も。
全部ぜんぶ嫌だったので、部屋から出した。
出さなければならなかったのである。


自分の中に小さな子供がいるのだとわかった。
それは、本当に居たのである。私とは別の他の人格として。

彼か彼女かわからないが、出会ってからのその子はかなり脅迫的なのであった。

存在に気づくまえから掃除は始めていたが、1度、昔の感覚を取り戻そうと畳の上で寝ていたら、ふと、縁側の床板を「踏まなければいけなくなった」。しかし床板の上にはカーペットが敷いてある。家具もある。それらをどかさなければならない。
早朝、母に「縁側のカーペットをどかしたいのだけど。」と声をかけ、自分でもわけも分からず泣いていた。なぜか苦しかった。
母は、「なんで泣いてるん。」と訝しげにしていたが、手伝ってくれた。

家具をどかし、カーペットを剥がし、綺麗に掃除をした。雑巾で床を磨き、窓の棧を水で綺麗に流した。

望む姿になった床板で寝転びながら、感触に喜んで伏せ泣いた。
これが、と思った。

ただ、なぜそんなふうになったはわからない。
後から、こどもの自分がそうさせたとわかるのだけど。


こどもが自分の中にいるとわかった頃くらいから、感覚過敏が酷くなった。
世界の情報量はあまりに大きかった。あまりに明るく、あるいは暗く、様々な音や香りがあり、風の感触床板の感触、触れてくるものたちの感覚、いくつもいくつも、私に対して刺激を与えてくる。
20年以上、ずっとなかった。
子供の頃に蓋をしてから、ずっとなかった。
だから、最初苦しくて寝られないし起きていることも辛かった。

それでも幸せだった。
苦しいけど、感覚があると、風に乗ってくる草の香りやそよぐ音がよくわかる。
何度も聞いたはずの音楽の、ここにこんな音が使われてたんだな、なんてことがわかる。
嫌いな感触がわかる分、好きな感触も際立つ。木の床板のひらべったくて柔らかくあたたかい感触が好き。
わかる。わかる。なかったものが全部わかる。前より確実にはっきりと。

うれしかった。

1ヶ月近くかな。
嬉しいと苦しいのあいだで板挟みだったけど、最近やっと情報量の多さには慣れ、それに伴う色んな気づきも落ち着いてきた。
主治医が「そのうち落ち着いてくるよ。」と言っていたのは本当だったんだなと思った。


腕時計。
感覚が取り戻されてから、つけるのがいやで、しばらく付けていなかった。
しかしなあ。時間が分からないと困る時は困るし、スマートウォッチだから電子マネー入ってるし…と、どうにかしなければならない。

そんなある日ふと、「もう存在を許すしかないのか」と思った。

彼女(私にとってのスマートウォッチ)は、付けるかぎり、私の手首に「つかまっている」。あるいは「抱き着いている」。
恋人と手を繋いでいるように思えばいい。そうすればキツくない。
なにか、得体の知れないものが手首についていると思うから嫌になる。それならもう存在を認めて、愛すしかない。

腕時計という存在は、私の手首で生存するものなのだから。


そう考えたら、嫌じゃなくなった。
今は、面倒なやつだなあ、と思いながら、腕時計と付き合っている。つまり普通につけて歩けるようになった。


なんて、取り留めもない話。

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