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思い出

思い出 

1.
小学校の頃ジャッキーチェンにあこがれていた。
ゲオでその頃出ていたジャッキーのビデオは全部借りてみていた。
いつのまにかジャッキーの助手になるというのが自分の将来の夢になっていた。
とりあえず、家の柱という柱で懸垂を毎日やった。
でも足りなかった。これでは、ジャッキーにはまだまだ遠い。
近所の川原公園にめちゃくちゃでかい鉄棒があった。
毎日、ブランコや鬼ごっこをしている子たちの中で一人、でかい鉄棒で懸垂をひたすらしていた。
五時の鐘が鳴ると修業はいったん終わり、よしっと言って大げさに手をバンバンはたき、
夕方のオレンジ色の中を、鉄臭い手の匂いをかぎながら家に帰った。
ジャッキーの助手にはなれなかったけど、どんなに足が届かない鉄棒でも逆上がりが出来るようになった。

2.
第一志望の大学に落ちた。
途中から受験勉強をあきらめていたから、どこかで落ちるだろうなあという気持ちがあった。
第一志望は落ちたけど、会津の短大が受かったので、そこに行くことになった。
失敗はしたのかもしれないけど、心は晴れやかだった。。
とにかく家を出れるのが嬉しかった。
これから始まるんだという気持ちでワクワクしていた。
家を出る時に、小2から高校までとずっと一緒クラスで短大も一緒になった友達と一緒に
母の車に乗り、駅まで送ってもらった。
改札を通る時に母が友達に「じゃあ うおのめのこと宜しくね」と友達に言った。
そのとき、家を出れるのが嬉しかったはずなのに、何故かガーーーーーン!という気持ちになり
そのまま、あまり母を見る事なく電車に乗った。
会津について、友達はアパートにそのまま向い、一人で駅のデパートにある最上階のフードコートで
しんみりパフェを食べながら「まじかあ・・・」と思った。


3.
短大を出たあと仙台に就職した。
友達は皆仙台に就職するよと言っていたのに、誰も仙台に来なくて
一人だった。
しばらく職場と家の往復だけの毎日が続いた。
遠距離だった彼氏に電話すると、「お金がないし、週一の電話にしよう」と言われた。
職場以外で誰も話す人がいなかった。
仕事がまともに出来なかったくせに、「ここは本当の私の居場所じゃなくて、あくまで仮の場所だし‥」とか思っていた。
お昼は、その年に入った女の子たちと食べた。みんな三木道山にはまっていて、お昼を食べながら「一生一緒にいてくれや~」を流して、「最高だよねー」と言っていた。
自分は「この人たちと違うし」とか思っていたらいつの間にかその場所で「不思議ちゃん」と裏で言われていた。
あまりにも話す人がいないので、アーケードにいる普段なら「絶対書かれたくない‥」と思うような「あなたの顔を見て一言書きます」の人に声をかけそうになっていた。
もうだめだ・・・そう思ったとき、小2~短大まで一緒だった友達が仙台に就職が決まったと連絡が入り、たまたま開いていた私のマンションの隣の隣の部屋で暮らすことになった。
やった・・・これから始まる~~(何度かこういうこと思う)
その友達が仙台に来てすぐくらいに、某音楽雑誌のDJが仙台にくるから行こうよと言われて、二人で行った。
ストロボライトのチカチカでわざとロボットダンスっぽく踊る友達をみながら心の底から笑った。こんなに笑うのいつぶりだ・・?
朝が来るまで、踊る‥ヘトヘトになって休む‥を繰り返して、始発を待って帰った。
コンビニでリプトンを買って「もしかしてこのまま年をとらずに、ずっと若いままなんじゃないか・・・」。。なんかそんなアホみたいなことを考えながら、リプトンを啜って家の前で
「じゃあね」と言ってそれぞれの部屋に戻った。
(実際はちゃんと年をとった。。)

終わり


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