闇、身体性を伴う不安

身体性を伴う不安に身を委ねてみることが、ある類の感覚を鋭敏にし、自身に対する満足度を一時的に向上させる。そのことはもう随分前から自分自身について済んでいる理解だったのだけれど、忙しくなるにつれ「結果のわかっていることを安定的に再現する」生き方になり、その対極にある「身体性を伴う不安」に触れずにいた。

昨日、流星群を見る努力をしてみようと家の外に出た。街灯のない方へ二十メートルほど歩いただけで、もう足下はおろか目の前すべてが灰っぽい闇に完全に閉ざされて何も見えない。電灯潜りに随行したとき、海中で目の前一面に広がったアオリイカの墨の色に似ていた。ガードレールがあるはずだと手を泳がせるのだけれど、木やロープの感触に小さな驚きとともに裏切られる。目が慣れてくると灰色がぐっと沈んで漆黒になり、星が冴え始めた。

視界の隅に2つ、流れ星を数えて帰宅した。昔から流れ星を待つのが苦手で、いつ、どこから来るか分からないものを見逃すまいと視線を右往左往させ続けることに苛立ってすぐに諦めてしまう。けれど昨日の2つは自身の忍耐への挑戦のひとつの成果だった。そして今日になって、そのこと以上に久々に真っ暗闇という「身体性を伴う不安」に身を置いたことをよかったなと思っている。