ハライチ岩井さんのナタデココと、僕の漢字練習帳

「ハライチのターン」2022年4月28日、岩井さんのナタデココの話が泣き笑いで非常に良い。小学生らしい自他の融通のなさと、そこからくる怯え混じりの落ち着かない感情が自身にも思い当たるものとしてありありと再現された。

よく似た出来事をいまだにはっきりと覚えている。

学校近くの「松本文具店」で指定の漢字練習帳を買ってくるように言われていた小学2年生の僕は、岩井さんと同じようにやはり前日、日曜日の夜になってそのことを思い出した。そもそもその週末は万博公園で開催されていた「花博」=国際花と緑の博覧会に家族で出かけており、帰ってきた頃には松本文具店は余裕で店じまいしていた。

今にして思えば翌朝の登校前に文具店に寄れば済む話なのだけれど、小2の僕にはハードルが高かったのだと思う。その夜、母と遅くまで開いているスーパー「イズミヤ」へ行き、指定のものとは異なる漢字練習帳を手に入れた。表紙にでかでかと配置された花の写真のせいで、それが指定と異なることは一目瞭然。ジャポニカのデザインフォーマットが恨めしかった。

翌日の国語の授業中、担任のホリウチ先生は目ざとくもあっけなく僕のノートに目を付け、「あんたこれどうしたの」と詰め寄った。何も言えずうつむいて机の上に目を落としていると、二つ隣のクラスの担任トミタ先生がたまたま何かの用事で廊下からホリウチ先生に声をかけた。ホリウチ先生は「いいところに来た!」とばかりにトミタ先生を招き入れ、「この子見て。ノート違うのよ」と意地悪く告げ口した。トミタ先生は色白の顔に細い目をさらに細くして「松本文具店じゃなくて松本引っ越しセンター行ったんとちゃうの〜?」と、今思い返しても鳥肌が立つほどくだらない台詞とともににやつきながら僕の顔を覗き込んだ。

30年以上経った今も、このときのことは後日談とともにはっきりと覚えている。ホリウチ先生との懇談会の日、母が「漢字練習帳、すみませんでした。実は家族で花博に出かけていて買えなかったものですから…」と言うと、先生はあの意地悪さなどおくびにも出さず「あらあらそうでしたか、それなら言ってくださればよかったのに」と恵比寿顔をして見せた。ホリウチ先生は全体に幼稚で汚く狡い人だったけれど、このとき最もそれを思った。

イズミヤ版のノートはその後使い道もなく、チクリと嫌な気持ちを思い出させながら長らく手元に残った。ホリウチ、トミタ先生の意地悪さはもちろんだけれど、事前にノートを買っていなかった自身のミスも恨めしかった。
数年後、父と母のいずれかが何かを書くのに使ったか、それとも中学生になった僕自身が使ったのだったか、とにかく誰か「大人」が文字を書き入れることによって、ノートに染み付いた小2の僕の恨めしさは昇華された。