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生きているだけでえらい、そう言い聞かせておきたいときもある

なんというかこう、明確な原因のないしんどさに取り憑かれている。

特段多忙なわけでも、何か精神をすり減らすような目に遭っているわけではないのだけれど、なんとなくじわじわと疲弊していく感覚がある。最近の話ではない。ここ数年の話だ。あまりよくないことだなあと思いつつ、まあ波はあれどそんな感じで生きてきた人間だしな、とも思っている。

SNSを開くと、心が疲れてしまうことばかりが目に入る。なんかもっとこう、以前は楽しかったのになあなんて思う。ネガティブな内容にダメージを受けるだけではなく、これまでならノーダメージ(いや、ローダメージくらいだろうか)で受け流せたであろうものからも、じんわりと影響を受けている。たぶん、全体的に生命としてのエネルギーが弱っているからなんだろう。

ああだこうだ、いろんな意見や価値観が入り乱れ、あちらこちらで諍いのようなぶつかり合いも目につく。それらすべてが、しんどい。そんななかにわざわざ投げ込む言葉もないなと思い、離れがちにしている。

一方で、趣味のアカウントでは頭からっぽ、ぱっぱらぱーでいられることもあり、ちょくちょく呟いている。ここでは趣味から逸脱したネガティブな内容を吐かないようにすることにしているから、残された言葉から見えるわたしは、極めてノー天気で明るいポジティブ人間だ。

趣味で元気をもらって精神のバランスが取れているならばいうことなしなのだけれど、現実はそんなに上手くいかず、当座しのぎになっている感覚を否定できない。明るい自分が乖離していって、疲弊しているわたしは置き去りのまま、何のケアもされずそこにいる、みたいな感じだ。

「〜だから」と明確な要因がないために、自分でどうにかすることもできないでいる。漠然と「助けてほしいなあ」という思いが浮かんでは、「でも、どうやって?」「甘えたことを抜かしてんじゃないよ」という考えが追いかけてきて、SOSの泡を消していく。いやでも、本当に何をどう助けてほしいのかわからないのだ。わからないけど、ただなんとなく助けてほしいだなんて、どないせえっちゅうねん、と自分でも思う。

なので、この文章にも目指すゴールは特にない。まあ、大体わたしがプライベートで書くものに、あらかじめ考えられた着地点はないのだけれども。

周りを見ていると、踏ん張ってがんばって歩み続けている人ばかりが目に入る。自分と比べるわけではないのだけれど、悔しいなあという気持ちがほんの少し、湧く。もっとがんばりたい自分がいるのだろうな。でも、がんばれませんと思っている自分もいるんだよな。困ったものだなあ。

大体のしんどさは、すべて気圧のせいにする。寝て起きて食べて、働いて、何とかその日その日を生きていく。意欲も意識も低いことこの上なくて、何とも情けのないことだなあと思うけれど、とりあえず今日も明日も生きていくのだ。

生きているだけでとりあえずOK。人にはいえても自分には全然いえないこの言葉を、あえてかけておきたいときもある。何にもがんばれない一日だったけど、今日もよく生きました。

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