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山で一泊

週末の明神岳〜前穂の仕事が中止になったので、8月20日(金)〜21日(土)で久しぶりに個人山行に出かけることにした。
最近プライベートで行きたい山といえば、クライミング以外だと、泊まりがけの縦走なのである。
行き先はできるだけ静かで、自分が行ったことがなく、かつ避難小屋やテントで泊まれる山が希望である。
東北や北海道の大雪山や越後三山や白山などなど、行ってみたい山はいろいろあるのだが、日数の問題もあるし、また北海道をのぞけば天気もあまりよさそうではない。
ということで奥秩父の飛龍山〜雲取山方面に行くことにした。
奥秩父の山は単発ではある程度登っているが、いわゆる縦走はしたことがなく、飛龍山や笠取山の辺りも歩いたことがない。
金〜土の天気は比較的よさそうだが、まだ大気の状態が不安定であり、午後は雷雨の心配もある。森林限界から上を長く歩くような高い山よりも、樹林帯が多い奥秩父の方が雷雨に対してリスクが低いだろうという考えもあった。

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登山地図を見て行程を考えるが、将監小屋が幕営指定地になっているので、ここに泊まる計画とする。
鴨沢の上の小袖乗越登山口に車を置き、いったん青梅街道へ下って親川から天平(でんでいろ)尾根を登り、飛龍権現経由で初日は将監小屋まで。
2日目は飛龍山の山頂を踏み、雲取山まで縦走して鴨沢へと下山する周回コース。
コースタイムは初日、2日目とも9時間くらいである。
初日はもう少し短くてもいいんだけどな……と、軟弱なことも考えたが、将監小屋に泊まるとなると、他によい行程も思いつかなかったのでこの計画で行くことにする。
将監小屋の連絡先に電話すると、小屋はやっていないが、水は出ており幕営はできるとのことだった。

家を出る前にザックの重さを測ると、14.5㎏だった。
水3Lと缶ビール500mlを含んでの重さだ。
食材にベーコンやソーセージ、玉ねぎやプチトマト、またテントマットの他に座椅子になるマットなども入っている。
その他の装備も含めまだ軽量化の余地はあると思うが、山行の目的の半分はトレーニングだから、あえて軽量化する必要もないわけである。

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雲取山の登山口、小袖乗越の駐車場には平日ながらけっこうな数の車が駐められていたが、歩き出してからはまったく人に会わず静かなものである。
天平(でんでいろ)尾根は樹林帯の中、なだらかな登りが続く。

歩きながら、個人山行は楽しいなあ……と、つくづく感じる。
こんな何の変哲もない、景色だってぱっとしない登山道をただ黙々と登っているだけなのに、そう思う。
仕事でないだけでなく、一人であるということが、いっそう楽しさを感じさせてくれるのかもしれない。
一人は何といっても自由で気楽だ。
そしてこうした個人山行は楽しいだけでなく、まちがいなくよいトレーニングになる。
それは山岳ガイドという私の仕事にとって、ひじょうに役に立つということだ。
こんなに楽しいことが仕事にもプラスを与えてくれるのだから、これほど素晴らしいこともない。
山岳ガイドは、やっぱり個人山行をしてナンボだなあ……。
前から思っていることを改めて強く思う。

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ほとんど樹林の中なので直射日光が当たらず、おまけによい具合に風があったので、暑さに悩むことなく快適に歩くことができた。
飛龍山の頂上直下の飛龍権現で一人の登山者に会っただけで、あと出会ったのは猪が4頭(これはかなりレア)と鹿1頭だけだった。

午後2時前に将監小屋へ到着。
所要7時間50分ほどだった。
誰もいない、かと思ったが、テントサイトの上の方に少し古めかしい三角テントが1張建てられていた。
その後テントの前にいる男性の姿をちらっと見かけたが、結局接することはなかった。

将監小屋のテントサイトは小さな棚田のような感じで、斜面をきれいに整地してある。
冷たい水が豊富に出ているし、立派なバイオトイレもあった。
小屋は玄関にだけは入れたが、中は鍵がかかっていた。
玄関の中にあった宿泊申込書を記入し、幕営代1,000円をポストに入れた。

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今回のテントはアライのエアライズ1。私が持っているテントでは一番小さいが、一人で使うには問題のない広さだ。最近はもっとすごく軽量なテントが発売されていることは知っているが、軽量化をあまり求めてないのでこの快適なテントで十分である。
テントに適当に荷物を放り込み、テントの前に食材やコンロなど、必要なものを並べる。落ちていた角材を椅子がわりに拾ってくる。
まずはもちろんビールだ。
出ていた水はけっこう冷たかったのでビールを冷やすこともできるが、凍らせて持ってきたサッポロ黒ラベル500ml缶は、まだそこそこ冷えていた。
最初のつまみは塩をつけたプチトマト。

今回の山行の一番の愉しみが、こうしてテント場で一人、酒を飲むことである。
この登山におけるかぎり、景色やコースなどはほとんど私の関心外であり、体力トレーニングというもう一つの理由を別にすれば、山行の目的の99%はテント場で過ごす時間にある。
じゃあお前は酒を飲むために山に行くのか? と問われれば、恥ずかしながらその通りではあるのだが、ただ少しだけニュアンスが異なる。
酒を飲むのが愉しみと言っても、私の場合、一人のときは何か読むものや観るものがないとつまらない。だからアルコールとキンドル(電子書籍)はセットである。
それでは読書が主目的なのかといえば、それもまたやはりちがう。
要するに、人気(ひとけ)の少ない静かな山で、酒の酔いに身をまかせながら読書に耽る、その一人の時間こそ、こうしたプライベート山行に私が何より求めるものである。
酒を飲むことも本を読むことも街にいたってできる。けれども、山という隔絶された場所で一人、ウィスキーをすすりながら本を読む愉しさは、下界では味わえないものだと私は思う。

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今回持参したコッヘル(鍋)は、ユニフレームの山フライパン深型。
深型なので炒め物だけでなく、お湯を沸かすこともできる。120gのパスタを茹でるのも問題なかったし、野菜などの食材を入れてくるのにも重宝だった。
お客さんとテント泊で山へ行くときも、たいていベーコンや野菜を炒めてつまみや具材にするのだが、最近は焦げつかないアルミ箔を敷いてコッヘルで炒め物をするので、このフライパンを山に持っていく機会がほとんどなかった。(コッヘルセットとフライパンを両方持っていくのはちょっと無駄だから)
この山用フライパンと専用のフタはどちらも少々重たいのが欠点だけど、何か炒めて食べたい人にとっては、使い勝手がとてもよい。(重たいから炒め物が焦げつきにくいのだと思う。でもフタはちょっと重すぎ)
ちなみに、今回持参した鍋や食器は、コップをのぞけばこのフライパンとフタだけである。これから一人個人山行の際は、このフライパンをメインで使うことにしよう。

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つまみの二品目は、アンティエのオリーブ&バジル無塩せきソーセージ。いつもレモン&バジルなので、今回はあえて食べたことのない方を買ってみた。
おととしだったか、さきおととしだったか、南アルプスの日向八丁尾根を一人で六合石室泊まりで2回歩いた。
日向八丁尾根山行で学んだことの一つに、「プチトマトは塩をつけて食べると、けっこうよいつまみになる」ということがある。
あのときもう一つ学んだのは、「(個人山行では)ビールは350mlでは足りない。500ml缶を持参すべし」、ということだった。
そして今回新たに学んだことは、「ソーセージは8本じゃ多すぎる。一人なら4本(1パック)でちょうどよい」、ということだ。
それにしても山に来ると、必ずや何かしらの学びや気づきがあるものである。

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メインディッシュはパスタである。
ベーコンと玉ねぎとピーマンをオリーブ油で炒め、ゆでたパスタをあえる。味付けはエスビーの「長崎からすみ&バター」。
缶ビールはとっくになくなっているので、ウィスキーを飲みながらパスタを食べる。なかなかおいしい。
最近家での夕食の際はもっぱら日本酒(と炭酸水)を飲んでいるが、山はやっぱりウィスキーだ。特に一人の山は。
いつも買うのはサントリーの角瓶。これが一番値段と味のバランスが取れている(値段に比して味がよい)気が私はしている。
ウィスキーを山に持っていく際は、コンビニなどで売っているジムビームの小さなペット容器に入れて持参する。
夕食を食べていると、「ぽつっ」と雨を感じた。
すぐテントに避難できるように外に出ているものを片付けるが、結局降らなかった。

夜半、けっこう長い時間、雨がテントをたたいていた。
シュラフに入り、ウィスキーをすすりながら本を読んでいて、いつのまにか眠りに落ちていた。
時刻は午前1時半。
ヘッドランプを出していなかったから、午後7時前には寝てしまったのだろう。
こんな時間から一度起きたら、翌日の行動に支障を来たすわけだが、
「この雨では雲取山をまわって帰るのは大変だし、来た道をそのまま引き返すことにしよう。それなら、少し寝坊しても大丈夫……」
と、すぐに堕落した決定を下す。
そして、せっかくの一人での個人山行を満喫するのだと思い直し、また本を読みはじめる。残っていたウィスキーも飲んでしまう。
夜中の1時半に起きだして、本を読みながらなめるウィスキーのなんとおいしいことだろう。
あればあるだけ飲んでしまいそうだが、幸いなことにもういくらも残っていなかった。

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午前6時30分、起床。結局3時半まで本を読んでからまた寝た。
テントの外に出ると、悪天候かと思いきや、雲は多いものの青空がのぞいていた。あれっ、この天気なら雲取山行けたかも、と思うが、心は易きに流れている。
上に張られていたテントはすでになくなっていた。昨日見たとき、「あるいは長期滞在者?」かとも思ったのだったが、ちがったようだ。
将監小屋には私一人だけであり、いっそうせいせいした気分になった。
とりたてて素晴らしい景色があるわけではないこの場所だが、私はなんだかこの将監小屋のテントサイトがすっかり気に入ってしまった。
静かで、冷たい水が豊富に出ており、きれいで快適なトイレがある。
「これで(スマホの)電波がもっと入れば、完璧だな」
と思うが、すぐに、いやちがう、と思い直す。
将監小屋の小屋の前ではかろうじて電波が入り、LINEを送ることができたが、テントサイトは圏外だった。
考えてみれば、テントサイトで電波が入らないからよいのかもしれない。これで電波が通じたら、テントの中でも結局はネットやSNSに無益な時間を費やすことになるのだ。
テントサイトで電波が通じず、けれども小屋の前まで行けば最低限の連絡はできるここの環境は、実はかなり理想的なのかもしれない、と思い至った。

今度は2泊でまた将監小屋に泊まりに来よう。
そんなことを考えながら昨日登った道を下っていった。
しばらくは、奥秩父のこの静かな山あいのテントサイトが、私の隠れ家になるかもしれない。

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