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命をいただく

先日夫と次女が魚釣りに行くと言い出した。

魚釣りは好きな人と苦手な人がいると思うが、私は苦手なのである。

理由はたぶん「いらちな性格」が原因だと思っている。魚が罠にかかるまで、じーっと待っているのが退屈なのだ。

夫は自分と違って、その待っている時間を楽しめる人なのだと思う。娘たちも魚釣りが好きなので、3人は共通の趣味を持っている。

とにかく、やいのやいのと釣竿だのバケツだの仕掛けだのと準備をし、妙なサングラスをかけてパナマ帽をかぶり、二人でうきうきしながら出かけて行ったのである。

夕方すぎにバケツを片手に「ただいまー!」と帰宅した二人。

その弾むような声から「これは結構釣れたんちがうか!?」と期待した私。次女が満面の笑みで差し出すバケツの中には、チョロチョロと泳ぐ小魚が3匹。青べら、がしら、あぶらめ。

「え?これだけ・・・?」と心の中で思ったがあまりにも嬉しそうに釣りをしていた状況を細かく説明してくれるので、ふんふんとうなずき話を聞いた。

ところが、その天真爛漫な笑顔から一転、急に現実的な顔になりこう言ったのである。

「ベラは塩焼き、がしらとあぶらめは煮付けにしてね。」

この3匹ぽっちの小魚を調理せよと言い出したのである。しかも生きてる。食べるとなると〆なければならない。
夫が釣りに行ってもいつも釣ったその場で〆て持ち帰っていたので、生きたままの魚を〆たことはなかったのだ。
夫はわが子にその瞬間を見せることを考え、今回初めて生きたまま元気に泳ぐ魚を持ち帰ったのだろう。

こんな小さな魚にも命が宿っていることを改めて意識した。

もちろん次女も生きたものが殺される瞬間に立ち会ったことなどない。

夫が生きている魚をバケツから取り出し、エラの部分にナイフを一突きするとあっけなく魚は息をひきとったようにみえた。しかし、まな板にのせて塩をふりかけグリルで焼こうと手に持つとビクビクっと最後の苦しみを見せて暴れたので驚いた。命を見た気がした。

グリルから良い匂いがして、ベラの塩焼きは見事に反り返った美しいフォルムで焼きあがった。新鮮な魚は焼いても煮ても身が反り返る。見た目には見事で美味しそうであるが、魚の命の叫びの姿ともいえるのだろう。

スーパーで売られている切り身の魚しか見たことがない人には絶対にわからない魚の最期。当たり前に食卓に並ぶ焼き魚にも命があることを意識することはきっとないのだろう。

魚釣りから命の恵みを学んだ次女は幸せ者だと思う。

丁寧に丁寧に小骨を取り除き、最後の最後まで命を頂いた次女のお皿には頭と背骨しか残っていなかった。今までで一番きれいに魚を食べた。

「ごちそうさまでした。」きちんと両手を合わせて、神妙に感謝の言葉を告げる横顔は昨日より少し大人びてみえた。



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