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梅雨前に。

夏物冬物の衣替え、冬布団や毛布の取り換えなど梅雨前にやっておくことは山ほどある。

そんなこんなでバタバタと家の整理を行っていた先日のこと。
タンスを開けるとポロリと小さな包み紙が床に落ちた。

「なんやろ。」と思い、拾い上げて見てみるとママへと書いてある。
それは私の誕生日に贈られた次女からのお手紙だった。

「わぁ~なんて書いてくれてたんやろ。これは2年生くらいの字やな。」と嬉々として読み始めて唖然とした。内容はこうである。

はっ!?ケンカ売ってんのか!!!
でも大切に写真と一緒に保管していたところをみると、バカ親は当時の次女の邪気をめでたい勘違いで「かわいいちゃっかりやさん」として好意的に受け止めていたのだろう。自分の馬鹿さ加減に泣けてきた。

節約て・・・。この一見可愛い便箋に記された毒入り愛のお手紙の価格はタダであり、どうしても思い出せないのだが、20,000円という大金をせしめられていたことは確からしい。

次に出てきたのはドカ弁の小2の漢字ノートである。
「あーこんな汚い字書いて!もうめっちゃ添削したいわ!」とぼやきながらパラパラとページをめくっていくと衝撃のページが登場した。これである。

なんやこれは!?
書いてある内容からして出された宿題は男という字、女という字を使って文を作りなさいというようなものだったのか?

先生、よく真面目に丸つけなんかしてくれたなー。
男のあしはまだわかるけど、女のくつしたってなんかおかしいし、
男くび、女くちってなんやねん。
全く意味不明のこのノート、これもまたなんで大切に保管していたのかわからない。

これもまたバカ親のまぬけな浅はかさでこの痛すぎるノートを見て
「ちょっと!お笑いのセンスあるんちゃうん!?」とか思っていたのかもと思うとあまりにアホすぎる数年前の自分の幼稚さが滑稽すぎてちょっと立ち直れないほどのショックさ加減である。

つまりはなにを言いたいのかというと。
一年前、三年前、五年前を振り返った時に、その時点では自信を持って
「自分は絶対に正しい」と思い込んでいたことが勘違いや思い上がりであったと気がつくことが多いということ。

さまざまなことを書いたり、夢中で仕事したり、意地のように弁当を作り続ける日々を送っている今の自分が記したこのnoteたちを、一年後、三年後、五年後の自分はどんな気持ちで振り返るのだろうか?

いくつくらいの頃に戻りたい!とかいう中途半端な感想しか出てこない自分がいる未来になっていることだけはまっぴらだと思う。
「今が一番幸せだ!!」
そう言い切れる自分がいる未来であってほしいと願いながら筆をおく。


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