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お盆あれこれ

フォロワーのみなさま、故郷への里帰りをしているようで大変なようですがとても羨ましく思いながら、皆さんの故郷レポを読ませてもらっています。

うちの実家の両親は、父が三男、母も三女。
しかも父の兄弟は11人も兄弟がいながら、長男夫婦には子どもはおらず、母の兄弟も長男は離婚し、亡くなった二人の姉は生涯独身であったため、亡くなったご先祖さま、とりわけ私たちの大好きだった祖父母、伯母たちのために集まる場がないのである。

子どものいない老夫婦の父方の伯父の家には皆が遠慮して集まらない。
離婚して独り身になった母方の伯父の家にも皆が集まる雰囲気にならない。

結果、帰る本家というものがないのだ。

夫の実家も両親は健在であるが、長男夫婦ではないため、お盆に集まる習慣はない。

だからお盆の季節はなんとなく心もとなく、切なく、わびしい感じなのだ。

例えば、スーパーに買い物に行く。店に入ると目に飛び込んでくるのは棚に積み上げられたお供え物用の高価なメロンや葡萄に桃。

その周りには ピンクや緑や黄色や白のカラフルな蓮の形の盆菓子が大量に置かれ、野菜コーナーに行けば「お盆のお迎えのお飾りに!」のポップが貼られた胡瓜と茄子がいつもより割高で売られ、それでも売り切れていく。

なんだか世間の人が当たり前にご先祖様をお迎えする準備に追われていて、お正月のような賑わいなのだ。

嬉しそうに帰省したお孫さんと手を繋いで歩くご老人の笑顔、久々に故郷に帰ったことで子どもに戻れる私たち世代の夫婦。

「お母さん!お母さんの煮物が食べたいわ!お肉も!お刺身も!」

お母さんから娘に戻った様子で、少し背中が曲がった母親と買い物をしている人の姿なんかを見ていると、キュンとなる。

いいな。お母さんから娘に戻れるのって。
いいな。おばあちゃんから母親に戻れるのって。

我が家は徒歩10分に自分の実家がある。

実家に寄ることは最近ではほとんどない。

なぜなら。毎日のように両親が家にやってくるからである。

孫の顔を見にくるのがメインであるが、父は自分の作る珍しい料理をつまみ食いするのが楽しみであるようだし、母は「居酒屋uni」を17時開店と決めているようで、自分の作る適当なつまみや料理を小皿に盛って出してやると、とても旨そうにビールを飲むのである。

1か月分のマイビールを我が家に置き、居酒屋uniのアテを楽しみに夕方の一杯を楽しみにして、ウォーキングしたあと我が家にやってくるのだ。

「孝行のしたい時分に親はなし」

と言われるが、うちの場合は非常に親孝行しているように思う。

ご馳走がたっぷり用意された実家や本家に皆が集まり、ご先祖様をお迎えして、皆で今を感謝して祈ること。

とても大切な日本の風習である。

ただいまー!

おかえりー!

またお正月には帰ってくるからね!

待っとるよ!

こんなふうに親子や親戚で言い合えること。

金では買えない、貴重なことである。

お盆が終わればすっかりこのセンチメンタルな気分から解放されるのか?

毎年同じことを思って、ほんの少しほろ苦い気持ちでお盆を迎える自分がいるのだ。

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