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桜の木

夏になると、地元の小さな神社の敷地は雑草で覆い尽くされてしまう。

その状態のままでは夏祭りが開催できないので、毎年この季節になると地域の老若男女が出動し、神社の雑草の草刈りと清掃を行うのである。

そんな時にものすごく活躍されるのは農家のおっちゃんたちである。

何台もの軽トラや草刈り機が続々と神社に入ってくるのだ。

おっちゃんたちは草刈り機をめっちゃクールに操り、あっという間に伸び放題だった雑草は刈り取られていく。

刈り取られた雑草の山をひたすらゴミ袋に詰め込んでいくのが若いもんたちの仕事なのである。

一仕事終えたおっちゃんたちは、せっせと働く若いもんの姿を満足そうに、優しい笑顔で見守ってくださるのだ。

そんな和やかな作業をしている時に怒りをあらわにするご長老の声に皆がビクッとなった。

「この桜は死んでない!生きてるんや!死んでない!!」

よく話の流れを聞いていると、どうも神社に何本もある枯れ木にみえる木は桜の木なんだそうだ。

祭りのやぐらを建てたり、夜店のテントを張るのにこれらの木がいつも邪魔しているから、いっそ切ってしまおうか?と自治会長さんをはじめ地域の顔役の方々が相談しているのを聞きつけたご長老が、断固反対してこう言っていたのだった。

すごく興味惹かれる内容だったので、ご長老の側で皆がお説教されているのを聞きに近くにいってみたのだ。

「この桜はな、ワシらが成人した時にここに植えたんや。子どもの頃、散々木登りして木を傷めたから木が弱って死んでもたんや。大人になった時にせめてものお返しに仲間と一緒に桜の木を植えた。一緒に植えた友達も順番に死んでいったけど、木は死んでない!生きとるんや!」

桜の木は明らかに命を終えたかのようにみえる弱々しい枯れ木だ。

しかしご長老の中では死んではいないのだ。植えた自分よりも後から産まれた我が子のような桜の木が自分より先に逝くはずがないと言っているようだ。

ご長老がダメだと言えばダメなのだろう。
まだまだ若いもんらには任せられん!という威厳のようなものをご長老はお持ちのようである。しかし、地域の顔役である方々はすでに皆60歳以上なのである。60歳を過ぎてもなお、ご長老から見ると子どもなのであろう。

結局、木を切り落とすことは見送られ、大量の栄養剤を木の周りの土に蒔くことでこの話は終わりを迎えたのであった。

なんだかこの地でずっと生きてきた地元の方々の足跡をみたような、そんな気がした。桜はそれらをみな知っているのだろう。

ご機嫌の直ったご長老が軽やかに軽トラでお帰りになるのを見送ったあと、アラ還の方々が少年のようにぼやく声が聞こえてきた。

「おい、あの桜咲いてるのってここ何年か見たことあるか!?」

「いや、全然見たことなんかあらへんよ!!」

「絶対もう死んでるんやて!」

「それ言えるか?本人に!」

「無理やな・・・栄養剤もっと桜の周りに追加して蒔いとくか!」

「おー、そないしとこか!」

もう一度桜の木の下に行き、栄養剤を蒔く彼らのその姿に大人の男の優しさとユーモアを感じた。

桜よ甦れ!

最後にもう一度美しい花を咲き誇らせてほしいものである。

来年の春、奇跡は起こるのだろうか。


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