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「せつなときずな」第1~5話

「せつなときずな」 1~5話

刹那は、自分の名前が嫌いだった。

それはそうだろう。名前に相応しい言葉でないものを、あのろくでなしは私につけたのだ。
きっと、読みが格好いいという理由でしかない。
キラキラネームと同じだ。漢字であるだけましとでも思っているのだろうか?

祖母が、不謹慎な名前だと言っていたのを耳にしたのは、小学校4年生の時だ。
言ってることを理解するには、充分すぎる歳だ。
刹那はその日、国語辞典でその意味を引いた。
大体、学校の授業で使う三省堂の国語辞典を買ってくれと言ったのに、嫌がる娘に化粧を施す母親は、化粧品と服には散財しても学資に回す気など毛頭ない。

与えられた、ブックオフのワゴンにあった角川の小さな辞典を引くと
①きわめて短い時間
②瞬間。とたん。「あわやの~」
と、あった。

刹那は、長生きしたらいかんのかと、暗澹たる気持ちになったし、空気読まないくそばばあにも、名付け親と同じ憤りを覚えた。

大人は、どいつもこいつもろくでなしだ。
父親は女癖が悪かったらしく、刹那が小学校3年の時に母親が三行半を突き付けた。
かと言って養育費を払うようなタマではない。
母親は刹那を連れて実家に転がりこんだはいいが、居心地のいい穴蔵みたいなその家で、小遣い程度のアルバイトを転々としては、稼いだ金を自分の虚栄につぎ込んだ。
もれなく男のオマケつきだ。それも見事にチャラ男ばかりで、小学生なのに母親に付き合わされる刹那はうんざりだった。

穴蔵は、くそばばばあとくそじじいの城だ。
一人娘に甘い訳ではなかったが、口でたしなめる程度で、結局自活を促すことも、経済的な支援をやめることもなかった。
大体、刹那の学資はすべて城の主が負担するありさまだ。

母親のサキは、いい歳をこいてもギャル風の姿に拘り、刹那はサキのお人形でしかなかった。
小学生でパーマをかけられメイクもされ、苛めは受けるは親は学校から呼び出しかけられるわで、どっちが娘なのかと子ども心に思わずにはいられない日々を送った。
一緒にプリクラを撮りたがるサキを見て、スガキヤのソフトクリームを交換条件にするのが、刹那の精一杯の抗議だった。
おかげでマスカラをつけるのは人より手際よくなったが、別にそれを欲した訳でもない。

私は普通の家庭が良かったのだ。
キラキラはいらん。

中学生になると、刹那はサキを無視して地味な路線に執着した。
するとろくでなしは、娘に興味を失って、ますますチャラチャラした生活を送るようになった。

何がろくでもないかって、元々地主の実家には離れがあるほど立派で、サキ母娘は離れに住まわされていたのだが、こいつは娘が一緒に住む離れに男を引き込んだりするのだ。
学校から帰ると、間男とよろしくやってる最中に出くわしたこともある。
よくグレなかったと思わないでもないが、グレる気も起きないぐらい、心が醒めてしまっただけだ。

名前と同じような人生になりたいわと、刹那は思うようになっていった。


「せつなときずな」 2

刹那の生まれ育った街は、尾張地方の中核都市の一つだった。
それは、小さな頃から何かにつけて「斜陽の街」みたいな言われ方をしていて、刹那は自然と落ちぶれた街なんだなと思うようになっていた。

街の至るところに、旧い繊維工場があった。
のこぎり屋根の建物は現役のところもあれば、他の用途に転用されたり、倉庫にされたり、はたまた廃屋にうち棄てられたりしている。
日本有数の繊維の生産地だった街は、日本を代表する大手メーカーを除き、とっくの昔に海外から安い繊維を仕入れ、アパレルやインテリア用品などの二次産業に変わっていたが、刹那が生まれる前からそれすら難しい時代になっていた。

刹那の実家も元をたどれば、かつてはそれで財を成した新興地主だったようだ。
今ではいくつもの管理物件を持つオーナーとして、不労所得で生計を立てている。
まあまあにいい暮らしだ。
それが、サキをあんな人格にしたのか、それとも先天的なのかは、刹那にはわからない。

母親のあばずれな姿を見て育った刹那は、異性に対してどこか距離を置きがちになっていた。

これと言って趣味もなく、高校に入っても帰宅部を通していたが、かといってサキとあまり顔を合わせたくもないし、くそじじいとくそばばあの穴蔵も好きではない刹那は、放課後に当てもなくぶらぶらすることが多かった。
同級生が名鉄で名古屋に遊びに行くのを横目に、冴えない郊外の片隅で独りを堪能していたが、望んだ訳でもなく、誰といても居心地が悪いだけなのだ。

つまんない人生だなと、刹那はいつも思ったが、何かに夢中になる感情が欠けている自分も億劫だった。

そんなある日、学校帰りの道の途中に、旧い繊維工場を改装したギャラリーができた。
古びたのこぎり屋根のそれは、倉庫として利用されたあと、「貸します」の看板と共に空き家になっていた、比較的小さな工場跡だった。
ギャラリーに入るのは気が引けたが、併設されていたカフェがずっと気になってしまい、刹那は随分と経ったあとで勇気を出して入ってみた。

建物の内外は白く塗られていて、それは、簡単に言えば「おしゃれ」に見えた。
インテリアに凝ることを注意深く避けたような静謐な店内に、刹那は物怖じしながらも、これからここを居場所にしようと最初から決めた。

どこでもいいけど、自分のホームグラウンドが欲しかった。
きっと、そうなんだ。

独りココアを飲む姿に、店員なのかアルバイトなのかはわからない若い女が、微笑んでくれた。
もしよかったら、ここでバイトするのも悪くないかも。
ただ、客がいない店が雇ってくれる訳もないだろうけど…

帰りしな、その日展示がなかったらしいギャラリーの玄関がなぜか解放されていたのを見た刹那は、おそるおそる中に入ってみた。
子どもの頃からよく見る機会があった、採光ののこぎり屋根の内側もまた、白く塗装されている。

工場は、真ん中に柱を建てなくていいように、屋根の母屋と柱と梁を組んだトラス構造によって支えられる。
その窓から射す光に照らされて、白い木軸が浮かび上がる美しい光景に、刹那はしばらく見とれていた。

昨日とは違う今日、そんな思いを生まれて初めて感じた。


「せつなときずな」 3

冬と言わずこの尾張平野は、時折強い風が吹き荒れる。

伊吹山から養老山脈に連なる西の山々から、この地方では「伊吹おろし」と呼ばれる風が吹き下ろされ、隔たるもののない広大な平地はその暴力にさらされる。
舞い上がる大気に身を掴まれる時、刹那はなぜか、慌てながらも笑みがこぼれる癖がある。

それを誰かに見られるのは恥ずかしいし、そんなことも人見知りの原因の一つかもしれず、何よりも、嬉しくもないのに笑ってしまう自分に気付いてから、どうにも居心地が悪かった。

最近では暖冬も多いため雪も少ないが、何年かに一度ある、強い風を伴った降雪が刹那は好きだった。
そんな日は、風に舞い上がる雪は、空からでなく地面から降ってくるように感じられた。
寒さに凍えながら足元を眺め、台風とは違って休みにならない学校に向かう朝、刹那はどうにもわくわくする気持ちをもて余す。

寒さにめっきり弱くて、冬になると気が滅入る刹那の、甘い気持ちになれる数少ないイベントかもしれない。

刹那が通うようになったギャラリー「O・A・G」は、「尾張アートギルド」の略で、併設されたカフェは「白猫」という名前だった。
ひねりがない店だなと思ったが、刹那は「白猫」に通うようになった冬の日から、なんかこう、うまく言えないけど、自分の芯が定まる場所を見つけたような気持ちになれたのだ。
そんな感情を覚えたのは、きっと初めての筈だ。

猫は別に好きでもなくて、でも、猫がいたら可愛いだろうなと思いつつ、それでいて店に猫はいなかった。
白いのは店だけだし、猫はいつかやってくるのだろうか?
白い猫がいないなら、雪が降ってくれるといいんだけどな。

窓の外の、往来もまばらな通りをぼんやりと眺め、まだ見ぬ白い猫…いや、きっとそんなのは想像の世界にしか現れないのだけど、そんな猫を待っている放課後の世界は、刹那のちっぽけな日常にはありあまるやさしい時間だ。

たまにギャラリーの客が、それは割と女性が多く、老いも若くも一人でいたりして、その姿を盗み見するように垣間見ては、刹那は勝手にその人を主人公に物語を妄想したりする。

半年後には、いつもの知らない画家くずれの展示会とは違う、三岸節子の小規模な展覧会が案内されていた。
中学の美術の教科書に載っていた地元の画家のその絵に、刹那は興味があった。
若くして夭折した夫の三岸好太郎の死後、当時としては異例ともいえる女流画家の嚆矢として成功した彼女に、何故か自分を重ね合わせた。

私はこの世界から、いつか見出だされる…

何の才能もないのに本の読み過ぎだなと思いつつ、刹那の妄想は、つまらない人生のライフラインなのかもと、少しクールダウンできるココアを飲み干しすことで弾けた。


「せつなときずな」 4

なんとなく、久しぶりにメイクをやってみたくなった。

刹那は、小学生の頃にサキにメイクをほどこされたりして、それが元で苛めにもあったことから、自分の容姿を整えることに躊躇するようになった。

サキは、髪や服に敢えて距離を取るようになった娘を、不思議そうに感じているようだった。
天然といえばそうなのだろう。
自分がしたことで何が起きたのか、母親なのにまるで理解できない。
そもそも、悪気があった訳でもない。

「白猫」に通うようになって、自身に無頓着なキャラクターを装っていた刹那は、自信という訳ではないけど、少しだけ自我に向かい合う気持ちが芽生えた。
それが何なのかはよくわからなかったけど、サキのように綺麗な出で立ちはあってもいいんじゃないかと、心境の変化を自覚するようにはなったのだ。

お母さんは、若い私より女そのものだ。
若い私が女らしくなったら、お母さんはどう思うのだろう。

それを考えるのは気が乗らなかったけど、もう子どもじゃないんだから、昔みたいにおもちゃ扱いはさせない。

刹那は、自分の化粧用品など有りもしないので、サキに化粧品を貸して欲しいと言った。
「刹那、男でもできたの?」
驚くサキに苦笑するしかなかったが、それを否定して、なんとなくしてみたくなったと答えた。
事実、それ以上に説明できる言葉の持ち合わせはなかったのだから。

「あんた、綺麗になるわよ。お母さんの娘だから」
サキは嬉しそうに刹那をドレッサーの前に座らせた。
刹那は、昔みたいにサキにメイクされるのではなく、自分でやってみるつもりだったが、自信もなく知識も子ども時代から更新していないので、まあいいやと案外簡単にあきらめてしまった。

鏡に映る自分の顔が、みるみる内に大人の憂いを纏っていく。
それは、刹那には想像の上をいく変貌で、もしかしたら今までで初めて、母親のサキをリスペクトしたのかもしれない。

「あんたはさ、イヤがっていたけど、お母さんはあんたと一緒に着飾って母娘デートしたかったんだよ」
サキはメイクが終わって姉妹のようになった刹那の顔の横に自分の顔を並べ、悪戯な微笑みを浮かべてそう言った。

親らしくはなかったが、そんな母親でも喜ばせることができたのなら、やっぱり娘としては幸せな気分になったりするのだ。
刹那は、サキと一緒に鏡を覗きながら、自分の感情に訪れた、わずかな戸惑いと一握の幸福感を同時に味わった。

無造作だった髪をアップにすると、サキはクローゼットから自分のお気に入りのコートを持ってきた。
ミンクの襟を持つ、黒いタイトなシルエットのそれは、刹那も格好いいなと密かに思っていたものだが、動物保護の観点から毛皮反対だったのであまり見たくなかった。

しかし、急かされるままに袖に手を通したら、もう駄目だった。

「あんた、きっと男を泣かす女になるよ」
サキは生まれ変わった娘を仰ぎ見るかのように呟いた。

刹那も、そう思った。

「これは私のものだ」
心の中でそう囁きながら。


「せつなときずな」 5

自らが、名古屋の名門私学女子高の出だったサキは、自分の娘にもそれを希んだが、刹那は全く取り合わなかった。

そもそも中学受験など真っ平ごめんだったし、何より女しかいない世界など地獄としか思えなかった。
それも中高一貫校など。

別に共学がよかった訳ではない。
男子に興味があった訳でもない。
それは、消去法だ。
男がいようがいまいが、女が50%しかいないなら、まだマシだ。
もう同性の同級生など、可能な限り存在して欲しくはないのだ。

刹那は、自分がタフだったとは思わないが、多感な時期に自分の全てを否定され続けた数年をサバイブしたことには満足している。
おかしいのはあいつらで、私ではない。
だから、私が負け犬のままでこの世界から消える選択肢など、一ミリとして有りはしない。
この世界がクソだとしても。

お母さんにはわからないだろう。
綺麗な女だけど、心の拠り所がない。
私にとってのという意味じゃなくて、お母さん自身が空虚なのだ。

嫌いではないけど、期待はない。

西尾張の片隅で、この地が好きでもなけば、拘ってもいない。
地元の中学を卒業して、一番近所の高校を選んだ。
もっといい学校を受けるようにしつこく勧められたが、刹那にはそんなつもりは微塵もなかった。
内心誰のためなんだと思いつつ、サキや進路指導の教員にほぼ無言で通した。
希望もなければ絶望もないのだから。
未来の姿をイメージできなかったけど、だから何だというのだろう。

刹那は、何にも依りたくなかった。
いつも注意深く人を見て、注意深く言葉を聞いて、可能な限り発言を控えた。
誰にも構って欲しくなかったし、私は独りで構わない。

中途半端に古びた街を流して、携帯で写真を撮るのが日課のような高校生活に、自分を異化する場所を好奇心で選択したのは、きっと偶然の産物にしか過ぎない。
放課後に「白猫」でココアを飲み、窓の外を眺めていると、窓の外からもう一人の自分が、店内で呆けている本当の自分を見つめているような気分になったりする。

刹那は、それはどうしてなのかわからなかったが、自分の人生に色気を覚えはじめた。
そんなことは多分生まれ初めてだろう。
その衝動を具体化するのに、メイクという手段を選んだ。

地上波で観た「薄化粧」という映画が脳裏にあった。
昭和の昔に人を殺めて全国を逃避行した実在の犯罪者を故緒形拳が演じていて、出自を隠して通った女郎に悪戯で化粧をされて、警察から逃れる手段に使えると発見するシーンが、刹那は何故か印象に残った。

己を隠して、偽る。
ならば美しい方がいい。

心なんかどうでもいい。
それは私が感じれればよくて、人が私を感じる必要などないのだ。

サキは先天的に感情に鈍感だった。
刹那は、後天的にそれを選ぼうとした。
結局二人は、同じような親子かもしれないし、そうではないのかもしれない。

学校の休みの土曜日、刹那はサキから習得したメイクでもって、自分のものにしたコートを羽織り、サキに買ってもらった黒いピンヒールを履いて「白猫」に向かった。

水商売?そう見えるなら、私はそれだけの女ってことでしょ?
刹那はずっと昔から、守るべき自我など欲してはいなかったのだ。


(続く)

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