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『ぼっち・ざ・ろっく!』をようやく見た感想(備忘録として)

前口上

昨年秋から冬にかけて大変話題になった『ぼっち・ざ・ろっく!』をようやく見ました。

きっかけはまずYouTubeで8話のライブシーンを見たこと。この時点でアニメ本編は見ていない。

次に年始にたまたま寄った近所のタワーレコードで流れていた結束バンドの曲が良かったこと。もっとも流れていた曲は失念してしまったものの、アルバムは購入しました。この時点でもアニメ本編は見ていない。

そして最後が萌え系とは無縁の漫画家さんが気がついたらハマっていたこと。これらが相まってアニメ本編を見る気になったわけです。

さてこんな文章を書くくらいにはハマってしまったのですが、放送終了から1ヶ月以上経っている上、優れた感想や批評は読み切れないくらいあるわけです。

だから何を書いても蛇足になること間違いないのですが、書いておかないと年末になったときに思い出せないので、備忘録として残すことにします。

感想

個人的に「出会うはずがないものと出会ってしまうことで、自分と自分を取り巻く世界の見え方が変わっていく」話は好みなので、この作品もドンピシャだったというのはあります。

ぼっちちゃんこと後藤ひとりはバンドを組みたいという気持ちはあったけど「学外の人間」と「ライブハウスで活動する」ことは想定してなかったと思うのです。そんな彼女がたまたまギターを探していた虹夏にピンチヒッターとして結束バンドに加入し、アルバイトや突発的な路上ライブ、バンドとしてのライブ、学祭出演を通して変化していくというプロットは私好みでした。最終話で「今日もバイトかぁ」と呟いたくらいには変化していて、でも本人は自分が変わったことに気づいてないのもリアルではあります。

ところで後藤ひとりについてネットの感想で「こんな奴いないだろ」と書いているのを見たのですが、むしろ「人の古傷をえぐるのは止めてくれないか」と思った。だから音楽好きな人とそうでない人で見方が違うのはあると思います。さらに音楽好きでも友人の数や好きな音楽が有名か否かもかかわってくるかと。私は友人は少なく、好きなバンドもマイナーだったので気持ちは分かる方だと思います。むしろ放送委員にもならなければリクエストすることもなく、楽器すらやってない私より行動力のある彼女の方が立派ですらある。

そして驚いたのがこの作品はライブシーンがメインではないように思えることです。確かにライブシーンのクオリティは高いと思いますが、本当に大事なことはむしろライブが終わってから話されている。最初に8話のライブシーンを見ていたので、話の最後にライブシーンを持ってきたのかと思ったらAパートだったので驚きました。これが原作もそうなのかは未読なので分かりませんが、物語の力点はライブではなくライブの後に話した(話されなかった)ことなのでしょう。

まとめ

だらだらと書きましたが『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメは結束バンドメンバーの名前のネタ元の1stアルバム評で言い表せているのではとも思うのです。

もしかしたら手に入れることは出来ないかもしれないと知りながら、アジアン・カンフー・ジェネレーションは「繋ぎたい、繋がっていたい」と、他者とコミュニケーションすることへの可能性だけを、必死に追い求める。そう、それはとても刹那的で、同時に、とても切実な思いだ。

snoozer presents The Essential Disc Guide2004 P.86

余談

アニメを見終えてから本PVを見ましたが、『フラッシュバッカー』の「君の言葉をぎゅっと離さない 離さない フラッシュバッカー 今も思い出してる」の箇所に8話の虹夏とのやり取りを入れるのは人の心がない。


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