届かない"星"だとしても

お疲れ様です。温州みかんです。
今回は短めの独白です。

最近、"星"を見ることが増えました。
ここで言う"星"は、この宇宙に普遍的に存在する恒星、という天文学的な意味でもそうですし、"煌めき"とか"憧れ"とか"夢"とか、そういう比喩的な意味でもあります。

2022年6月4日、初めて間近で"星"を見たあの日から、僕の生き方は大きく変化しています。5つの"星"が放つ眩さは、一瞬で僕の心を奪っていきました。その"星"はやがて、9つとなり、11つとなり、今でも僕の行く先を照らしてくれています。

思えば、幼いころは星空を眺めることが好きな少年でした。
年に二度、家族でキャンプに行くことが、我が家のささやかな贅沢だったのですが、その度に夜遅くまで起きて星空を眺めていた記憶があります。
ちょうど夏場に行く際は、ペルセウス座流星群の時期で、早く寝るように言われても尚、星空を見上げ続けていました。
幼いながらに、星空の放つ、神秘的で、少し不気味でもある魅力に取り憑かれていたのでしょうか。

あれから十数年、そういえば、少し前までは久しく夜空を見上げることもしていなかったような気がします。
そもそも、住んでいる場所は、地方都市とはいえそこそこに都会で、夜空を見上げてもあまり星は見えません。でも、見えないからと諦めて、見上げることすらしていなかったんです。

同じように、夢を持つことも諦めていました。
「自分に出来るわけない」とか「いい年して恥ずかしい」とか、言葉にする前から投げ出していたんです。
今でも、「これが夢だ!」と言えるものは、正直まだ持てていません。でも、漠然とこういうことがしてみたい、というものが少しだけ見えてきたような気がします。

僕が憧れた"星"たちは、自分が大好きなことを貫くことで、その輝きを手にしています。
僕が好きなものは、『音楽や小説 映画とか漫画』、その他諸々の、いわゆるサブカルチャーというもの。

『好きなことを好きでいる』、案外難しいことだと最近感じています。
自分が好きだと感じているものに対して、他人が嫌いだと感じる権利も当然ある。それを考えると、胸を張って好きだと言うことが出来ず、少しもどかしいんです。
特にディープなものは、時に他人の理解を得られにくいこともあります。それでも僕は、自分が好きなものを好きでい続けたいし、好きだと声に出していたい。

僕は不出来な人間です。失敗も重ねてきたし、後悔だって多い。
でも、今感じている気持ちを間違いだと否定したくはないし、そう感じたことを後悔したくはありません。
そういう気持ちを持って、この先の道を生きてみたいと思います。

例え、届かない"星"だとしても、手を伸ばしてみたい。
例え、届かなくとも、後悔はしたくない。
何かが変わりはじめた今、微かでもきっと、この胸にひかる"ステラ"があるから。

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