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ゆゆ式12巻を読んで考えたこと+唯ちゃん主人公説など

 今年もやって来ました、ゆゆ式Advent Calendarの季節が。毎年11月の中頃には書き終えてしまって自分の番を待ちくたびれてしまうので、今年は学習して開幕二つ目の12月2日に陣取ったはいいものの、一向に書くことが思い浮かばないまま11月がじりじりと過ぎていき、気づけばこれを書いているのは11月28日。締め切り四日前という瀬戸際まで追い込まれてしまいました。
しかしこんな私でも、神は決してお見捨てにならなかったのです。去る11月の26日、ゆゆ式の最新刊である12巻がちょうど刊行されたではありませんか。私はもちろん当日にゲーマーズで買い、家に帰るなりすぐに読み始めました。すると読み進めていくうちに書きたいことが次から次へと溢れ出て来て、時折手を止めてはスマホにメモをし、メモをしたらまた読み、そうして一冊読み終える頃には既に十個近くの小見出しが完成していたのです。
私は幸運にも、ゆゆ式12巻の感想をほぼAdvent Calendar内最速で発信することが出来ます。ネタ被りを気にする必要もありません。言いたいことを言いたいように、言いたいだけ書くことが許されているのです。かくして少し前まで重い重い十字架だった早めの締め切りが、一瞬にして有利な位置取りに変わりました。これも全てゆゆ式12巻のおかげと言っていいでしょう。やはりゆゆ式は神なのです。ゆゆ式を信じるものは必ずゆゆ式に救済され、あらゆる苦しみは解放されるのです。
今回私が書かせていただくのは、ゆゆ式12巻を読んで考えた真面目な考察から限界妄想怪文書までバラエティ豊かに全部で六つ。それらを緩急織り交ぜてランダムに投げますので、どうぞ楽しんで最後まで読んでいただけたらと思います。

目次
1:唯ちゃんはApexのランクマッチでチャーライを使っている
2:千穂と佳の関係性の変遷
3:キャンプでゆずこと火の担当やりたいよねって話
4:唯ちゃん主人公説
5:106ページ右上のコマでの会話、圧縮言語すぎてビビる
6:改めて、ゆずこの「お姉」呼びめちゃくちゃ良いよねって話


・唯ちゃんはApexのランクマッチでチャーライを使っている

 ゆゆ式12巻(以後、12巻)の33ページの柱コメントにて、「ゲームで好きな銃器」という質問に対し、唯ちゃんは「エネルギー系のライフル」と答えている。エネルギー系のライフル……? …!私はすぐにピンと来た。そう、Apex Legendsに出てくる武器のひとつ、チャージライフルである。以後チャーライと呼ぶが、チャーライはスナイパーライフルに分類される遠距離武器であり、銃口から「ビィーーン」という音と共にレーザー光線が出るという代物である。まさにエネルギー系って感じの武器だ。
ではなぜ、この武器を唯ちゃんが使っていると思ったのか。それを話すためにまず、チャーライという武器の特性について簡単に説明しよう。チャーライはさっきも書いた通り、スナイパー系列の遠距離武器である。他のFPSに比べて比較的インファイトの多いApexでは、スナイパーのみでキルが取れるというケースはかなり少ない。仮にダウンさせることが出来たとして、遠距離ならばすぐ物陰で蘇生されてしまう。
ならば、遠距離武器はどのように使われるのか。それは主に、アーマー育てと牽制である。Apexにおけるボディーシールド、つまり防護アーマーは進化制であり、敵プレイヤーに一定量ダメージを与えると防御力が上がるというシステムになっている。なので安全な建物に陣取った後、遠くのプレイヤーに少しずつダメージを与えていくことで、自分の身を守りながら防御力を上げることが出来るのだ。また、周囲の建物に籠っているチームに攻撃することにより、我々はここにいるぞ!という警告を発することも出来る。その他にも安置入りしてくるチームを狩ったりファイトの起点にしたり、細かい部分で遠距離武器は輝くのである。
そして、このように様々な用途で使われる遠距離武器の中で、チャージライフルは特にアーマー育てに関して絶大な威力をもたらす。チャーライは一発の弾丸を消費し、約0.5秒の間銃口からレーザー光線を照射する。その光線は掠っただけでもダメージを食らい、長く当てられてしまうとかなりのダメージを負うことになる。レーザーなので弾が落ちることもなく、きちんと照準を合わせさえすればエイムが下手でも多少のダメージを与えることが出来るのだ。通常のスナイパーライフルは一発の弾丸を正確に命中させなければならないため、もちろん当たれば大ダメージではあるものの、相当な練度がなければ有用に使うことは難しい。それに引き換えチャーライはちょっと当てるだけでもダメージを稼げるので、アーマーを育てるのに向いた武器と言えるのである。
と、ここまで散々チャーライの説明をしてきて、ここからいよいよ本題に入っていこう。この先話すのは、「もし唯ちゃんがApexをやっていたら」という仮の話である。唯ちゃんが実際にApexをやっていそうかそうでないかという議論はこの際無意味なので、悪しからず。
知っての通り、唯ちゃんは実利主義である。ギャンブルよりも安定を好み、リスクを避けて堅実に利益を得ることを重視する。となるとApexの、その中でもポイントの懸かったランクマッチにおいて唯ちゃんはどのようなプレイをするのか。答えは当然、安置先入りチャーライチクチクムーブである。Apexのマッチでは、時間経過と共にリングがどんどん縮小していく。つまり一定時間内に安置に移動しなければならないのだが、移動中は遮蔽に隠れられないので隙が生まれ、攻撃されやすくなのだ。唯ちゃんはそういったリスクを好まないため、ランダムに指定される安置が先に分かるキャラを使い、他チームより先に安置内の有利なポジションを確保する。ただし、そうしてしまうとキルが取りにくくなってしまうのだが、唯ちゃんはそれよりも安全を選ぶと思われる。そうして万全の状態を築いた上で、確実にダメージを与えられるチャーライを使って遠くのプレイヤーをチクチクと攻撃する。こうしたプレイングはApex内で「チャー牛」と呼ばれ忌み嫌われる傾向にあるが、裏を返せばダメージ稼ぎに効果的であることの証左でもある。唯ちゃんはこうやって最後まで生存して少しずつポイントを稼ぐことにより、ソロでも毎シーズン安定してプラチナ2~3くらいまで上げることが出来ているのだろうな…と思った。そしてそれを誰に自慢するでもなく、もちろんゆずこにも縁ちゃんにも一切言わず、今日も一人でランクに潜り込むのだ。2000バッチを付けた、初期スキンのブラハと共に。

・千穂と佳の関係性の変遷について

 次に私が注目したのは、あいちゃんと佳の二人の関係性がちょっと変化してきてない?ということである。先に言っておくが、彼女たちが二年に進級してから物語上は時間が経過していないのは分かっている。でも実際には年単位の時が流れていて、それに伴って三上センセの脳内にある二人の関係観も多少は変化してきてるんじゃないかと、12巻を読んで何となくそう思ったのだ。
 最初にそう感じたのは60ページ、佳が教室に戻りながらモノローグで「相川が娘ってどんなラッキーなんだよな」と考えている所までは従来通りだと思ったのだが、そのあとあいちゃんとふみちゃんに「や、相川が子供ってどんだけラッキーなんだよって話してて」と直接言うのには正直ちょっとびっくりした。私の中の二人の関係からいくと、佳はあいちゃんに対するクソデカ感情を行動で表したりはするものの、直接言葉にして表現するのは遠慮してしまいそうな感じがするのだが、特に照れもなくさらっとそういうことを言うのは、佳があいちゃんを友達として信頼するようになってきている、ということの表れなんじゃないかと思った。
 もう一つ思った所があって、110ページのあいちゃんが戻ってきて二人と会話する所、あいちゃんの「え~えへへ…それで櫟井さんみたいなお姉ちゃんいたらって…」と言ったとき、佳がモノローグで「質問風の質問じゃないやつか」と考えるシーンが、佳とあいちゃんの関係性の変化を露骨に表している感じがした。あいちゃんも一人の人間なので、自分の言いたいことの前振りとして質問をしておく、みたいなちょっと賢しいことをすることだって当然あるわけで、ただ可愛くて純粋な女の子という“キャラクター”ではないのは当たり前なのだが、今までの佳はどこか「ひたすら可愛い女の子」としてあいちゃんと接しているような感じがあった。それが「会話の入りとして質問をしたけど、別に回答は求めてないんだな」という分析をあいちゃんにしているというのが、とても新鮮だと思ったのだ。そしてそれと同時に、「なんか…友達っぽい」と思った。この二人はもちろんずっと前から友達ではあると思うのだが、真の意味で遠慮がない感じというか、飾らない友達感がモノローグから伝わってきて、思わずニコニコになってしまった、という話。

・キャンプでゆずこと火の担当やりたいよねって話

以下、怪文書

 キャンプでゆずこと火の担当をやりたい。具体的に言うと大学のサークルか何かで男女合わせて十数人でキャンプをすることになって、当日それぞれ適当に役割を分担しようってなったとき、同学年でサークル仲間のゆずこが真っ先にキャンプファイヤーの担当に名乗りを上げ、薪を運ぶのに男手が要るからという理由で後から私が選出されたい。
 ゆずことはそこまで親しくはないものの、人当たりがいいので特に気まずくなることもなく、色々と話しながら一緒に薪置き場へ向かう。それからゆずこと一緒に薪を運び、落ち葉や小枝を拾い集める。この段階ではお互いまだ距離感を探り合っている状態である。
ここで注意されたいのは、ゆずこは意外に外面がしっかりしているということである。普段我々はゆずこの対人性格に関して、親しい人向け及び女の子向けの人格のみを観測している。しかしそこまで親しいわけでもない同年代の男子に対して、流石にいつもの人格を出すわけにはいかない。そこで、ゆずこの対男子用人格というか、猫を被るということではないが、普通の女の子的対応をすると思うのだ。それはほぼ無意識のもの、我々があまり親しくない女性に対して努めて社交的な振る舞いを見せるのと同様に、ゆずこの社交的人格がここで表出するのである。
 話を戻して、ここからそれらを使って火を起こしていくわけだが、ゆずこも私も火の付け方に関して全く知識がない。どういう風に薪を組むのか、落ち葉はどこに配置すればよいのか、スマホを片手にああでもないこうでもないと言い合いながら、試行錯誤を繰り返す。
 そのやり取りの中で、私とゆずこは次第に距離感を縮めていく。ゆずこの真面目な性格と私の理屈っぽい考え方が噛み合って、会話がどんどんハイテンポになっていく。ゆずこの社交的人格の隙間からいつものお調子者な性格が顔を覗かせるようになり、釣られて私も素に近い物言いをするようになっていく。そうして薪は最終的にすごくそれっぽい形に落ち着き、新聞紙伝手に火を付けると落ち葉全体へ火が一気に広がっていく。ゆずこは歓声を上げて喜び、私も拍手をしてそれに応じる。火がめらめらと薪に燃え移っていく様を楽しそうに見つめるゆずこの姿を横目に見つつ、その様子にゆずこの素からにじみ出る女の子らしい可愛らしさを感じ、密かに鼓動を速めていたい。

・唯ちゃん主人公説

 という大層な表題を掲げはしたが、別に大それたことを主張しようというのではない。今回の12巻を読んでいて、そういえば唯ちゃんのモノローグってやけに多いなーって思ったのがきっかけなのだが、それ以外にも唯ちゃんがメタ的に描かれることって多いような気がして、最終的に表題のような結論にたどり着いたということなのだ。
 まず唯ちゃんのモノローグが多いということについてだが、これに関して議論の余地はないだろう。統計などを取ったわけではないが、他二人と比べるとその差は歴然である。12巻にあって以前の巻にもあったのが、ゆずこと縁ちゃんに対する親愛を表すようなことを思い浮かべて結局言わないというものであるが、逆にゆずこや縁ちゃんのそのようなモノローグが描写されたことは一度もない。唯ちゃんのシャイな性格を表しているという側面もあるだろうが、三上先生が唯ちゃんの人間臭い可愛らしさを重視しているということの表れでもあると思う。
 そうでなくとも、唯ちゃん対他二人という構図は随所で見受けられる。OVAの例のシーンなどは言うに及ばないが、アニメ版のプールのシーンなどを見ても、無邪気な二人に対して保護者な唯ちゃんという形がすごく対照的に描かれている。唯ちゃんが一人のシーンなどもいくつか描写されているし、そもそもアニメは唯ちゃんの一人のシーンからスタートする。
 論が散逸的になってしまったが、結局何が言いたいのかというと、唯ちゃんは他二人と比べて内面の性格描写がやたら細かい上、無邪気なノリから一歩引いた立ち位置として描かれることが多いよね、ということである。物語において心情描写が多くされるキャラクターというのは基本的に主人公という立ち位置であるということを考えると、必然的に唯ちゃんがゆゆ式における主人公的ポジションということになるのでは、と思ったのだ。
 まあ、それだけです。

・106ページ右上のコマでの会話、圧縮言語すぎてビビる

 105ページ、ゆずこが出し抜けに頭を差し出してきたのを唯ちゃんが叩くというシーンから106ページ右上のコマに繋がるのだが、まず会話だけ書き起こしてみよう。
ゆずこ「人が喜ぶ事を恥ずかしがらずにやろ?唯ちゃん」
縁「ね」
唯「あーーまあわかるけど」
……どういうこと?初見で読んだとき、あまりにも中間情報がすっ飛ばされていてすごい面食らった。よく読めば言わんとすることは分からないでもないが、それにしても超ハイコンテクストである。AIに読ませたら100%間違った文章だと返されるだろう。
 なぜなら、ゆずこの発言は唯ちゃんに対する提案である。なら唯ちゃんの返答は承諾か拒否のどちらかが妥当だろう。ところが実際の唯ちゃんの返答は「まあわかるけど」である。分かる、分からないの話はしていないのにも関わらず、だ。例えるなら、「お前そろそろ髪切った方がいいよ」に対して「分かる」と返事するようなものだ。日本語としてそういう言い方をしないとは言わないが、何か違和感がある。活字なら尚更だ。
 じゃあなぜ唯ちゃんは「まあわかるけど」と返したのか。これは私の見解だが、ここのゆずこの発言において「論点のスライド」が起きているからではないだろうか。
 詳しく解説しよう。つまりここの発言においてゆずこは、頭を叩くか撫でるかという話は最早していない。「人が喜ぶことを恥ずかしがらずにやろ?」という言葉の意図は既に具体的な事例から拡張され、より一般論として「人を喜ばせられるようなことは進んでやろう」という道徳的な話にすり替わっているのである。そうやって下らない話をわざと高尚な言い方に変えることで、ゆずこなりのユーモアを生み出しているのだ。
そして、このあまりにシームレスな一般化に唯ちゃんは気が付いたため、一般化されたその理屈に関してはもちろん正しいとは思うけど、今の下りでそんな大層な言い方する?という軽いツッコミのニュアンスを込めて「まあわかるけど」と返した、ということである。
いや、難しすぎない?不特定多数が読む漫画という媒体において説明なしにこの会話を入れるという三上先生の胆力と、まあ分かるだろうという読者に対する信頼みたいなものを、この一コマから感じたよ、っていう話。

・改めて、ゆずこの「お姉」呼びめちゃくちゃ良いよねって話

以下、怪文書

 ゆずこの「お姉」呼び、改めて考えるとめちゃくちゃいいよね。お姉さんとの関係性もそこから浮き彫りになるというか、だって最初から両親が「お姉って呼びなさい」と言ったわけではないだろうに、例えば小っちゃい頃に「お姉ちゃん」と教えられたけど、姉妹として仲良くなるにつれ結果的に「おねえ」と呼ぶようになってそれが定着したのだとすると、とてもとても微笑ましいなんてレベルじゃない。言葉の響きからして親しみと敬いと、ちょっとした甘えのニュアンスが込められていて、かと言ってベタベタしてもいない姉妹像を思い起こさせる。どこを取っても隙がなく、完璧な呼び方だ。
 ところで、「お兄」と呼ばれたい、私。ずっと前から思っていたのだけれど、「お兄ちゃん」という呼び方はあざとすぎてむしろ、ちょっと距離が遠いような感じがする。端的に言って、男に対する呼称として可愛過ぎるのだ。せっかく「にい」という潜在的に甘えを含んだ可愛らしい発音があるのに、「ちゃん」を付けてしまうと一気に無粋になってしまうというか、可愛いの押し付けという感じがして冷めてしまう。
 そこへきて「お兄」という呼称はある意味で少しつっけんどんな感じで、仲が良すぎず悪すぎない兄と妹の温度感に最適であると思うし、逆説的にそういう呼び方を妹がすることによってそういう距離感に落ち着いていくという働きさえあると思っている。
 なので、まあ何が「なので」なのかは分からないが、ゆずこに「お兄」って呼ばれたい。「お兄、マンガ貸してー」って言いながらドアをちょっと開けて覗いてくるので、本棚からチェーンソーマンの最新刊を取ってあげたい。そんだけ。

まとめ

 いかがだったでしょうか。12巻を改めて読むと今までの話の前後譚があったり例の冒頭カラーがあったり、すごいボリュームの巻だなと思いました。通して読むだけでこれだけの思考が溢れ出てくるくらいですから。これを書いている時点で12月2日午後3時50分でめちゃギリギリなので、あとがきはこのくらいにしておきたいと思います。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。明日のAdvent Calendarもお楽しみに!

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