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結局、ゆゆ式に百合要素ってあるの?って話

【はじめに】
ついに来ました、今年もAdvent Calendarが。去年に続いて2度目の参加ですが、今年の冬はちょっと忙しい予定なので期日に間に合わないかも…と11月の僕は危惧しています。
これを読んでくださっている皆さん、どうですか?僕の記事は間に合っていますか?それとも…いや、やめておきましょう。

さて、今回僕が書かせてもらうのはズバリ、ゆゆ式と百合についてです。
きらら系列の日常系漫画とは切っても切り離せない「百合」という要素。つまり女の子同士の恋愛、または恋愛未満であってもそれに近い何か特別な感情のことを広義で百合と呼びます。
ちなみに、百合というのはレズビアン同士の間にしか成立し得ないのかというと、答えはNoです。実は「機会的同性愛」という概念がこの世にはありまして、周りが同性のみの環境下において思春期の若者が同性に恋愛感情を抱いてしまう、というのは実際にあることなんですね。なので、ゆゆ式の世界観においても全く成立し得ない話ではないんです。
ならば、果たしてゆゆ式本編に百合の要素はあるのか、ないのか。これはコアなゆゆ式ファンの間でも意見が分かれるところであり、「ゆゆ式の登場人物はあくまで全員仲のいい友人同士であり百合ではない」とする人もいれば、「千穂に対する岡野の独占欲や唯ちゃんに対する千穂の接し方は百合と言える」とする人もいます。
なので今回はそういった事例をいくつか取り上げて客観的に分析しつつ、その上で僕個人の見解を述べさせてもらおうかなと思っています。

※注:この文章においては、ゆゆ式の登場人物の呼称はそれぞれ
野々原ゆずこ→ゆずこ
日向縁→縁ちゃん
櫟井唯→唯ちゃん
相川千穂→千穂
岡野佳→岡野
長谷川ふみ→ふみちゃん
おかーさん先生→おかーさん先生
で統一しますので、あしからず。

【もくじ】
1.岡野と千穂の関係って百合?
2.千穂と唯ちゃんの関係は百合?
3.じゃあ唯ちゃんと縁ちゃんは…?


①岡野と千穂の関係って百合?
まず最初はこの2人、ゆずこ達のクラスメイトである岡野と千穂の関係についてです。ゆゆ式ファンの方々ならご存知の通り、本編の中で岡野が千穂に対して独占欲、というか他者からの干渉を阻むような描写が散見され、1年生の頃は千穂に話しかけるゆずこ達に対して敵対心を向けることが度々あるほどでした。その傾向は2年生になってゆずこ達と仲良くなるにつれて軟化していきましたが、今でも岡野が千穂に何らかの強い感情を抱いていることに変わりはありません。
では、その岡野が抱いている強い感情は恋愛感情なのでしょうか。
正直、そう捉えられてもおかしくないくらい岡野には初心な側面があります。例えば11巻の巻頭、千穂の腕に付いたペンのインクを腕で擦って取ってあげようかと考えるが、結局やめるというシーン。同性の友達なら躊躇うほどの行為ではないのですが、どうにも千穂に嫌われるかもと過剰に恐れている節があります。その様はさながら千穂に片想いしている奥手な男子学生のようであり、岡野も千穂に片想いしている…と考えるべきなのでしょうか。
ですが、そうなると少し引っかかるというか、矛盾を感じるシーンもあるのです。
それは5巻の巻頭、ちけふの3人がお泊まり会をしてるシーンで、眠そうな千穂が岡野にもたれかかっている描写があるのですが、これを見るからに岡野の抱いている感情は恋愛感情とは少し違うのかな、と思いました。
それはどうしてかというと、あの描写によって、岡野が千穂との肉体的な接触そのものには特に抵抗を覚えていない、という事実が裏付けられることになるのです。
つまり、先に挙げた11巻のシーンでの岡野の一連の行為は、千穂が肉体的な接触を嫌がることを危惧したからではなく、腕を擦り付けるというあまり一般的でない行為に千穂が戸惑ってしまうのでは、と千穂を気遣ったから、ということなのです。
そう考えると、岡野の千穂に対する感情は恋愛感情ではなく、ある種父性のような愛情に近いものなのだと考えるべきなのかな、と思いました。
【結論】
岡野と千穂の関係は百合では…ない!と思う!


②千穂と唯ちゃんの関係は百合?
さて、この2人の関係は正直かなり難しいです。というかぶっちゃけ一番百合っぽいです。だって唯ちゃんと話している時の千穂の顔の赤らめている感じといったら。もうこれは百合です!はい!と言って次に行きたいくらいそれっぽくて困っちゃいますね。
パッと思い浮かぶものだと、3巻の91、92ページ、千穂と唯ちゃんが部室に2人きりになってなんやかんやというシーンなんですが、アレなんかはもう普通のラブコメのワンシーンであっても違和感が無いくらい初々しいですよね。まあこの2人に関してはそういうシーンを抜き出しているとキリがないので、逆に恋愛感情と捉えると矛盾があるような描写を取り上げていきたいと思います。
例えば、千穂は唯ちゃんと会話をすること自体は自然に出来る、ということが描写されているのが6巻の62〜63ページあたり、飲み物を買いに行く唯ちゃんとお手洗いに行く千穂が一緒に廊下を歩くシーンで、千穂と唯ちゃんの貴重なロングトークなのですが、案外気負うことなく普通に喋っているのが分かります。ゆずこや縁ちゃんと話す時よりむしろフレンドリーなくらいです。
しかしそこはこのシーンの重要ポイントではありません。注目すべきはその直前のシーンです。
62ページの最初、教室の扉の前で千穂と唯ちゃんが鉢合わせ、唯ちゃんが扉を引いて千穂を先に通してあげるというシーンで、千穂の「なんだろこの…男の人な感じ?」という心の声が入ります。そしてその後、トイレから出てきた千穂は外で待っていた唯ちゃんに気付かず、「待ってた…!絶対ヘンな顔してた私!」と心の中で恥ずかしがります。
これがどういう意味を持つのでしょうか。
前提として彼女達の通っている高校は女子校であり、同年代の男子と関わる機会はほぼありません。それに加え、これは想像を含みますが、千穂の性格を考えると小中学校でもあまり男子と関わって来なかったように思えます。
それ故に男に対して免疫が無いため、ゆゆ式の登場人物の中でも背が高く(いい意味で)男らしい側面のある唯ちゃんに対してある種憧れを含んだ「男の人っぽいかっこいい人」という見方をしており、それで気を抜いた顔を見られたりするのをひどく恥ずかしがったりしていたのでは、という仮説が立てられるのです。
唯ちゃんに対する千穂の感情を「男性に対する初々しさ」と同質のものとして他のシーンを見ていくと、そこそこ合点がいく描写が多いかなと思いました。冒頭で挙げた部室でのシーンも、唯ちゃんを男性的な存在として捉えているせいで唯ちゃんのお見合いっぽい質問に過剰に驚いたのだと考えられますし、逆に唯ちゃんの写真を撮りたいと提案できる所などは、ゆずこや縁ちゃんと同列に友達として扱っている証拠なのだと思います。
千穂が唯ちゃんに対してビックリしたり赤面したりするシーンの多くは、唯ちゃんにうっかり恥ずかしい所を見られた時や、唯ちゃんから予期せぬ言葉をかけられた時です。一つ一つ説明するのは面倒すぎて魔物になるので省きますが、例えば8巻の30ページや6巻の99ページなどを参照してもらえれば僕の言いたいことが伝わると思います。

【結論】
千穂と唯ちゃんの関係は…百合っぽいけどちょっと違う…と思う!
(ただ「異性的な見方」というのは非常に機会的同性愛と親和性の高い感情なので、ゆゆ式本編の中では一番恋愛に近い表現なのかな…?)


③じゃあ唯ちゃんと縁ちゃんは…?
どうしてこの2人を入れたのかと言うと、ぶっちゃけこの2人の百合同人誌が一番多いんです。おそらく岡野とふみちゃんの同人誌より多いです。
まあ確かにこの2人は一番マジっぽいですからね。ちけふ組は高校から、ゆゆゆ組もゆずこは中学からですが、唯ちゃんと縁ちゃんは幼馴染で小学生からの付き合いです。実際、本編でも唯ちゃんは縁ちゃんの変化によく気がつくし、縁ちゃんも唯ちゃんのことを深く信頼していることが見て取れます。
…そういえば、この文章を書くにあたって本編を読み返してて思ったんですけど、唯ちゃんと縁ちゃんの2人きりで会話するシーンって思いの外少ないんですよね。なので2人だけで喋ってる時がどんな感じなのかって、実はあんまり知らなかったりするんです。
なので材料はあんまり無いんですが、仮にこの2人が恋愛関係にあった場合、そもそもゆずこを仲間には入れないはずなんですよね。むしろゆずこという劇薬が加わったことにより、縁ちゃんも唯ちゃんに対して親愛の情を直接伝えられるようになった、という側面もあるでしょう。
そういえばゆゆ式本編において、休日に3人が唯ちゃん家に集まる描写は毎回ありますが、放課後に唯ちゃん家に行く、みたいな描写はあんまり無いんですよね。それに、他の2人の家に3人が集まる描写が一度も無いって、よく考えたらちょっと不自然ですよね。
学校帰り、唯ちゃんと別れたゆずこと縁ちゃんはそのままどちらかの家に……なんて。
【結論】
ゆずこと縁ちゃん…あると思います。


【まとめ】
いかがだったでしょうか。最後のはちょっとふざけましたが、上の2つに関しては自分なりにかなり真面目に考察して書かせていただきました。それ故に少し固い文章になってしまったかもしれませんが、それでもここまで読んでくださった皆様には本当に感謝したいと思います。
個人的な結論としては、ゆゆ式本編に百合要素は無い、と思います。女の子同士でイチャついているシーンはたくさんありますが、意図的に一線は越えないようにしている感じが随所から見て取れます。機会的同性愛は友情を壊しかねませんし、少なくとも3人グループでは1人仲間外れになってしまいます。そう考えると、いつもグループ内で不和を生まないように努力しているゆゆ式の登場人物たちが、わざわざ友情を捨てて誰かと特別な関係になろうとするとは思えません。
どこにでも居そうな女子高生6人が送る流星のように過ぎゆく3年間、その日々の中で確かに流れた穏やかな日常を切り取ったゆゆ式という作品、それに対して外野が無理に恋愛を見出だそうなんて行為自体が或いは野暮なのかもしれませんね。

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