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『アングスト/不安』が不安に至るまで

2020年7月3日(金)、日本劇場初公開を迎えた『アングスト/不安』。
1983年に制作され、監督も本作のみしか発表していないという作品ながら、シネマート新宿、シネマート心斎橋では公開初日から満席が続出する大ヒットとなった。
一体、『アングスト/不安』とは何なのか?という事をはじめ、パンフレットには掲載しきれなかった部分を記していきたいと思う。なお、一部ネタバレを含むため、その部分は鑑賞後にご覧頂きたい。

『アングスト/不安』とは

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1980年、オーストリアで1人の男が一家惨殺事件を起こし逮捕された。男の名はヴェルナー・クニーセク。幼少期から加虐性が見られ、自らの母親に対する殺人未遂で逮捕、強盗、銃殺といった数々の罪を重ね、自身の精神の異常を訴えたものの、収監を逃れようとしていると判断されて精神科病院の収容は却下、懲役わずか8年半という判決が下された。釈放1ヶ月前、3日間の仮出所が許された際に、クニーセクは「殺人に対する純粋な欲望」の元、3人の家族が住む民家に侵入し彼らを殺害した。精神鑑定が、司法が、彼をもっと正しく裁けていたらならば、起こり得ない事件だった。
事件当時、27歳だったジェラルド・カーグル監督は、地元オーストリアで映画祭や映画雑誌を創設、ドキュメンタリーを共同監督するなど、映像製作者への道を切り開こうとしていた。そんな時、自国で起きたこの事件に衝撃を受け、クニーセクの心理に非常に興味を持ち、「心の内なる声を通して混乱した精神の内部を深く見たい」と願った。同時に、その頃まだ誰も犯行の動機には注目をしていなかった事も併せて、カーグル監督の心は一気にクニーセクの心を映像化するという崇高な《計画》に奪われてしまった。

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制作予算である約400,000ユーロ全額を借金で自己負担し、事件発生からたった3年後に『ANGST』(=不安、恐れ)というタイトルで公開された。しかし、あまりに冷徹かつリアリティを追求した内容、さらに、この頃まだジャンル映画は存在していなかったため衝撃があまりに大きく、本国オーストリアで1週間上映後ただちに上映中止となった。以後、一部のポルノ映画専門館で上映されたのみ。観客の中には嘔吐する者や返金を求める者もいた。作品はスキャンダラスに報道され、嫌悪の対象として扱われた。他のヨーロッパ全土では上映禁止、イギリスとドイツでビデオ発売に興味を示したディストリビューターがいたが発売禁止令が出され実現せず、アメリカではXXX指定を受け配給会社が逃げた。『ANGST』は誰にも観られることなく終わった映画となってしまった。
日本では1988年、『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』と題してレンタルVHSがリリースされるが、それきりDVD化される事もなく、一部のコアファンの間でその内容の異様さが語り継がれてきた。

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しかし海外では、「Taste of Cinema」が選ぶ「史上最もダークなシリアルキラー映画10選」の1位に選ばれ、『悪魔のいけにえ』(74)『ヘンリー』(86)などと並ぶ傑作、「本当に恐ろしい映画」として語られる場が増加。
2015年にはオランダ発、現アメリカのレーベルであるCult EpicsからリマスターされたBlu-rayがリリースされ、その凄まじさは世界へと広がった。
『ネクロマンティック』(87)のユルグ・ブットゲライト監督から愛され、『カルネ』(91)のギャスパー・ノエ監督は「60回観た。映画の最も稀少な未知の傑作だ」とファンを公言、『フリッツ・ホンカ』のファティ・アキン監督も「人生のホラー映画ベスト4」に『アングスト/不安』を挙げている。

そして2020年、時は熟し、37年を経て『アングスト/不安』という邦題にて初めて日本劇場公開の時を迎えたのである。

アングスト_チラシ

映像と音楽の魔術的魅力

『アングスト/不安』の撮影・編集を手掛けたのはズビグニェフ・リプチンスキ。ジョン・レノン「イマジン」やオノ・ヨーコ、ミック・ジャガーといった数々のアーティストのMVを撮影し、『タンゴ』(81)で第55回アカデミー賞・短編アニメーション部門を受賞してきた気鋭の映像作家である。

このリプチンスキの独特の「傍観者」たるカメラワーク、どこか不思議なユーモアを感じさせる要素などが、『アングスト/不安』では存分に発揮されている。
POVのような主観的映像のために、いくつか特別な小道具を発明。俳優にカメラを取り付けての撮影や、鏡を駆使した技法、クレーン撮影など、狂気と冷徹さを表現するべく挑戦された試みはまさしく《発明》と呼ぶにふさわしい。

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ギャスパー・ノエ監督は『カルネ』(91)ほか『CLIMAX クライマックス』(18)など数々の作品でオマージュを捧げており、ダーレン・アロノフスキー『π』(98)に影響を与え、初期のスパイク・リー監督作にも同様のカメラワークが見られ、その作風はミヒャエル・ハネケ監督作の初期作にも共通した静謐と冷たさが流れている。

音楽を担当したのは、クラウス・シュルツ。クラウトロックの代表格であるタンジェリン・ドリームやアシュ・ラ・テンペルに一時在籍し、後にソロとして活動。クラシックから影響を受けた音楽性と、シンセサイザーをメインにした音作りで現在も活躍中である。
元々、シュルツの音楽が好きだったカーグル監督は、まず彼に脚本を渡し、それに沿って作曲するよう依頼した。撮影後の編集は、すでに出来上がっていた彼の音楽に沿って編集された。この手法によって、緊張感が途切れる事なく持続し、終始動き回る狂人K.の心の不安、不穏で陰鬱な空気感といったものが映像と音楽が一体となって表現されるに至った。

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なお、『エクソシスト』(73)のウィリアム・フリードキン監督に殺人鬼であるハンニバル・レクター役をオファーした(実現しなかったが)マイケル・マン監督作『刑事グラハム/凍りついた欲望』(86)では『アングスト/不安』のサントラから“FREEZE”という楽曲が使用されている。前述のとおり、『アングスト/不安』はほぼ世界的に上映されておらず、シュルツ名義のサントラは流通していたものの、マイケル・マンが映画を観ていたのか非常に気になる。またフリードキンは『恐怖の報酬』(77)でクラウス・シュルツ脱退後ではあるがタンジェリン・ドリームを映画音楽に初めて起用した人物。そしてマイケル・マンは自身の長編デビュー作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)でタンジェリン・ドリームを起用。フリードキンやマイケル・マンが本作を観たかはまったくもって不明だが、80年代の彼らの作品に流れる冷たく暗い徹底された無機質なトーンは『アングスト/不安』と方向性が共通すると感じられる。
これらの素晴らしい映像と音楽を体感するには、やはり最高の環境である劇場での鑑賞を推奨したいところだ。

上映素材の《謎》

『アングスト/不安』にはプロローグが存在する。モノローグと写真で紡がれる手法は、前述の『カルネ』(91)でも踏襲されている。

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このプロローグはオーストリアでの公開当時は存在しなかった。カーグル監督からの言葉を以下に引用したい。

「この映画は最初にオーストリアで公開、その後世界配給のドイツの会社と契約してプロローグを作った。もともと通常の映画の尺より短かった。よって世界配給を手掛けたドイツの会社が尺を長くするよう要望してきた。これがプロローグが出来た理由だ。『アングスト/不安』を全額自費で作った私は当時、財政的に破綻寸前、資金が底をついていた。よってプロローグは最小限の資源によって実現した。撮影はアーウィン・レダーともう2人の出演者との半日の撮影、電球の拷問シーンのスーパー8mmフィルムでの撮影に半日だけだ。あとはアーウィン・レダーや本物の警察官の写真、手書きの手紙などの素材で構成した。材料消費はほぼ1:1だ」

「材料消費はほぼ1:1だ」という言い回しが作品同様、何か冷たく無機質な、それでいて神経質な、不穏さを醸し出している。プロローグは上記のとおりドイツの会社の要望によって作られたものであり、またCULT EPICS社のBlu-ray化の際、監督は当初プロローグの収録に絶対OKを出さなかった(最終的には収録)ことから、監督のなかでは<プロローグのないもの>がオリジナルでベストなものとされているのかもしれない。プロローグは狂人K.が老女を撃つシーンと、静止画、ナレーションで狂人の半生を綴った構成で、ある意味説明的過ぎると見る事もできる。確かにプロローグの有無で作品の印象もだいぶ変わるだろう。だが監督の意思とは裏腹に、ギャスパー・ノエほか多くのファンはプロローグ付きを好んでいる。今回の日本劇場公開では監督から支給されたマスターはプロローグが含まれたバージョンとなっている。
【※以下、ややネタバレ※】 

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 さらに、映画の一つのクライマックスとも言える地下道のシーンが残酷過ぎるという理由で部分的に暗く処理された素材が出回った国・地域も存在する。これは上映ではなくVHS等のソフト発売時になされた処理で、それは監督自らの判断で行ったものだ。当初は上映や発売禁止措置が取られていたため、この素材は少し後、80年代後半から90年代の事かと思われる。オリジナルがあまりにあからさまで、多くの人々を恐怖に陥れたことも原因かと思われるが、のちに監督は全てを見せるのではなく、画面の外で行われている事象を表現した方が好みだ、と語っているので、その考えのもとに自ら行った処理だったようだ。
この事を知る、シルビア役のシルヴィア・ラベンレイターはこう語っている。

「過去に地下道の残虐シーンがわざと暗く処理されたバージョンが出回っていたのを知っています。私はこれに反対です。ちゃんとオリジナル通りに血が見えて、残虐すぎることが行われているのを見せるべきです。もともとの作品のテーマが可能な限りリアルであることでしたが、暗くすることはこれに反します。この地下道のシーンをちゃんと見せることでクニーセクのどうしようもなく狂った心の内を正確に表現できるのだと思います」

【※ネタバレここまで※】 
2015年にCULT EPICSからリリースされたBlu-rayはこの画面を暗く処理したものではなく、元々の明るさの素材を元にリリース。日本での劇場公開版もこれと同じものとなっている。
 つまり、現在日本で公開されているのは明るさはオリジナルで、プロローグを含んだ、ドイツが世界配給をしようと目論んだ(当時は失敗したが)いわゆるインターナショナル版である。

犬の存在感と可愛さ

『アングスト/不安』の予告編を解禁した直後から、「この犬は無事なのか?」という安否を気にする声が多く寄せられた。

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劇中に登場する犬は毛ヅヤが良く、作風とは真逆の愛嬌たっぷりなダックスフント。周囲は大変な展開を迎えているにも関わらず、尻尾を振って何ならご機嫌そうに画面を走り回る姿が、作品に奇妙なアクセントを与えている。
 この犬への不安の声を受け、宣伝部が以下のような動画を作るまでに至った。

この動画もまた非常に注目を集め、海外窓口担当者よりカーグル監督にこの現象を伝えたところ、以下のような返答が戻ってきた。

「犬を心配する必要はまったくない。犬は常に安全・安心だった。
犬は我々と共にいる事を喜んでいた。映画本編を見ればわかるだろう。
犬の名はクバといい、撮影のリプチンスキが飼っていた。いつも我々の周りをうろうろしていたので役を与える事にした」

日本側からの報告はあくまで劇中で無事なのかどうかを心配している、というものだったが、上記の回答は撮影現場でどうだったか、という内容となっているのが面白い。これまでも様々なメールのやり取りが行われたが、海外窓口担当者によれば、カーグル監督はどんなに質問しても心の内、心情、何を思っていたかなどを明かすことはほぼ無いという。常に現実に起こった事象のみを回答するようだ。もしかしたら恐ろしいことに劇中と現実の区別がないのかもしれない。ともあれ、この愛くるしいダックスフントは終始無事であり、しかも撮影監督の犬だった事も判明した。
調べてわかった事だが、ズビグニェフ・リプチンスキの撮影したMVの数々には、時折このクバらしき犬が登場するので紹介したい。

Art of Noise 「Close (To The Edit) Version 1 (ZTPS 01)」の3:31~頃に注目。
前述のジョン・レノン「イマジン」にも1:42~頃に登場している。

何が《不安》で怖いのか

『アングスト/不安』は大ヒットスタートを切ったため、数多くの方にご鑑賞頂いている。
本作はホラーではなく、ジャンルの括りで言うならばスリラーとしている。カーグル監督の制作のきっかけからもわかるように、猟奇目的で作られた映画ではないため、人体損壊描写などのグロテスクな描写は控え目な方である。

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よって、その手の描写を期待してご来場された方にはいささか「肩透かし…」「何が怖いのかわからなかった」という声も少なくない。その一方で、「凄い作品だった!」「もう一回観たい」「今年のベスト」という絶賛の声も多い。両極端に分かれ、まさに賛否両論の図となっている。
皆さまからの鑑賞後の感想として多いのが、賛否の否では「主人公の犯行は手際が悪すぎてイライラした。早く殺れよ!単調過ぎる」。賛の方では「あまりに手際が悪くて、もどかしくなり、“自分の方がもっと上手く殺れるのに“と願ってしまった事に気付き自分が怖かった。モノローグと実際の映像の差が激しく、全く計画通りになっていない事も狂った精神状態そのままで終始不安だった」という意見を頂いている。
まさに表裏一体、どちらの意見も根底は同じ部分からのものである事がわかる。

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「完璧な計画がある。今度は絶対に捕まらない」と豪語しながら殺人に延々と四苦八苦するK.の姿は滑稽かつ、スタイリッシュなシリアル・キラー像とは真逆で、戸惑うのも無理はない。ジェラルド・カーグル監督はリアルを追求し、制作者の視点からの解釈や、観客からの理解や共感を促す要素は皆無。ただ作品が存在しているだけである。派手な描写や緻密な脚本を駆使して「観客を驚かせ楽しませよう」、「表現の凄さを見せつけたい」といった娯楽映画に存在する自意識が無く、そもそも作品を観てもらおうという意思が全く感じられない。観客に向けて表現を解き放つのではなく、自らのアイデアを研ぎ澄まし具現化する事のみを考えた感じといえばいいだろうか。倫理観を持つ高等生物として地球上に存在する人間が、人間として生きているにも関わらず人間で無くなってしまい、これほどまでに無残な行いをしたという、人間という生物の終焉を見せた残虐事件の、絶対に理解不能な心理の探求を試みた映画だ。
そこに描かれている恐怖は、直接的なジャンプスケア型の表現とは異なる、狂人と観客の内面に発見され広がっていく形のものである。
再犯の可能性が高い男が外に放たれ、ある日突然、自宅に侵入し家族をいたぶり、皆殺しにするーー。被害者側の立場を仮に自分の身に置き換えて考えると悍しい出来事だ。

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 『アングスト/不安』は海外では製作当時も今も変わらず、猛毒の劇物的な物として扱われている。幅広くディストリビューションされた事がない故にレビューの絶対数は少ないが、各国の最近のレビューをみても、<映画作品として凄い><だが非常に危険なため鑑賞には注意が必要>というものがほとんどだ。今ではBlu-ray等のパッケージ商品が流通しているが、上映があまり行われていないのは旧作という事ももちろん関係しているが、レーティングの審査を受けられない、という事も原因のひとつと思われる。作品全体から提示されるものが観る者の精神に悪影響を及ぼす危険性があるからだろう。日本では映倫審査の結果R-15+となった。日本では映し出される画で判断するという。欧米では画も含む、トータルの文脈で判断するらしい。ここは非常に日本的なモノの見方として興味深い。
色々と書き連ねたが、上記の感想からも分かるように、観ていて不快になる可能性、同調し凶暴性が炙り出されてしまう危険性などが含まれているため、「楽しかった!」「いい映画だった!」とは言えず、人に薦めにくい事この上ない。
今で言うPOVのような主観映像、俯瞰から眺めたような冷たい視点、現実的な展開、狂人の淡々とした犯行の「理由」や忌々しい過去の記憶……。
これらを目の当たりにしていると、人によってはどこか「分かってしまうかもしれない」とすら思えてくる事もある。本来であれば理解してはいけないはずの乱調な狂人の思考を。
このように、自身の凶暴性の誘発や発見、同化などの無限の可能性を孕んでいるため、チラシ、予告編などには鑑賞時の注意として以下の文言を記載した。

本作は、1980年にオーストリアで実際に起こった事件を描いております。当時の司法制度では裁ききれなかった為に発生した事象であり、本映画をきっかけとして以降大きく制度が変わりました。劇中、倫理的に許容しがたい設定、描写が含まれておりますが、すべて事実に基づいたものであります。本作は娯楽を趣旨としたホラー映画ではありません。実在の殺人鬼の心理状態を探るべく制作されたスリラー映画です。特殊な撮影手法と奇抜な演出は観る者に取り返しのつかない心的外傷をおよぼす危険性があるため、この手の作品を好まない方、心臓の弱い方はご遠慮下さいますようお願い致します。またご鑑賞の際には自己責任において覚悟して劇場にご来場下さい。

また、《不安》とは一体何なのか。観る者としての不安、被害者側の不安、全編に漂う事件の予感への不安なども挙げられるが、狂人K.の抱える不安という要素が大きい。
本作を鑑賞した心理学者(学術博士)の桐生正幸氏にK.の心理状態を分析して頂いたので紹介する。

「犯行動機はまさに現代的なものである。過去の犯罪は、お金や人間関係のトラブルが主な動機だった。しかし、昨今の動機が理解できない殺人事件は、概ね、犯人が抱く個人内葛藤を解決するために犯行に及んでいる。犯人にしてみれば、その時の被害者は、たまたまそこに居合わせただけであり、ただ、自身の得体のしれない不安だけを、その被害者に投影しているのである。この映画の主人公は、我々から理解してもらえない動機を、”家族殺し”を実行することで、自ら告白し表現した。現代日本の凶悪犯の心理を代弁するかのような先駆的映画である」

つまり、K.の過去や現在の状況を解消したいという《不安》、抑えきれない加虐性への《不安》などが織り混ざり暴発し、発露した結果が、彼の場合は殺人だったのではないだろうか。

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様々な要因や解釈を述べてきたが、さらに多くの深い考察や、より詳細な情報はパンフレットをご購読頂きたい。
公式HPやこのWebサイトはいつか電波の彼方へと消え去るだろうが、紙は努力次第でほぼ永遠だ。
そして、K.の《計画》はあまり成功とは言えない形だったかもしれないが、ジェラルド・カーグル監督の《計画》は日本でも成功し、再評価の機会を得ている。
惜しむらくは、カーグル監督がこの作品以降、一本も長編映画を作っていない事であるが、『アングスト/不安』で拵えた莫大な借金はその後の映像制作の仕事で返済する事ができたそうなのでご安心頂きたい。
早過ぎた傑作が放たれた今、スクリーンと共に心の中に狂人を放つという酔狂な体験をしてみてはいかがだろうか。
地下道の暗闇に目を凝らすように、作品の核心を注視すれば、カーグル監督の描きたかった事が見えてくるかもしれない。





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