自転車から卒業した僕にもう一度人を愛する気持ちを思い出させてくれた女性。

ヒューヒューヒュー

雨で湿り冷え切った夜風が

しぼんだ肺にこたえる。

決済まで時間がなかったとはいえ、アスベストがある建物に

防塵服なしでタックルを繰り返したのは無謀だった。

肺への影響が大きく、入院と手術を余儀なくされた。


退院の日、人間の彼女が迎えに来てくれた。

自転車の彼女と別れて5年、もう一度人を信じてみようと

思わせてくれた彼女には感謝しかない。


彼女は僕の寝室の隅でずっと僕を見守ってくれていた。

とても安心感があった。


そう。

自転車の彼女は、着替えは持ってきてくれない。

そもそも病院へ一人で来られない。

いや、一台で来られない。

僕が入院している一週間の間、一ミリも動かなかったはずだ。

人間の彼女はとても心強かった。


彼女は、僕が立退きをかけているビルのセキュリティ会社に勤務していた。

僕が買ったタネ地のビルに彼女は常駐していたのだ。

部屋の隅にいる彼女に向かって僕は


「しらいしや、そこ退いてくれませんか?」


と、いつものように占有者に声をかける。

もう所有権は当社に移っているので当然の主張だ。

しかし彼女は頑なに退かなかった。

逆に

「いえ、私の仕事なんで。契約者様が解約するまでは...」

の一点張りだった。

その頑なな態度、鋭い眼光。

勝負の世界で生きる僕が「本物だ」と感じるほどだった。


「なら、わしと契約しようや。」


僕は思わず声に出した。

彼女を一目見ただけなのに。それだけのインパクトがあった。


彼女からにじみ出る安心感、安堵感。

人に、こんな感情を持つのは久しぶりだった。

彼女は困惑した様子を見せずに


「それは解約されてから、初めて考えることです。」


その一本気な性格、キビキビとした対応。

ますます彼女に惚れてしまった。


「ほな、また来るで」

その日はそのまま立ち去った。


翌日もまた彼女はいた。

するどい眼光で、こちらを見てくる。


「そんな目をすんなよ。ほら。」



僕は前所有者から預かった、警備の解約通知書を彼女に見せた。


「わかりました...」


彼女が小さな声で言い、部屋出ていこうとする。


「またんかい!」


僕はまたとっさに声をかけた。


「わしと一緒に地上げしようや。」


責任感、鋭い眼光、一本気な性格。

僕のパートナーにふさわしい人物だ。


「わしの彼女になってほしいんや。」


彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せた。

そりゃ、会って二回目の男に突然そう言われて戸惑うだろう。

でも、僕には勝算があった。

勝負師の決断に時間はかからへん、と。

思惑通り彼女はすぐに


「はい。わかりました。お世話になります!」


と言ってくれた。


「しらいしさ~ん!」


ガッ



サオリは僕を力いっぱい抱きしめてくれた。

僕は後頭部を強打した。

あまり覚えていないが、そのまましばらく

抱き合っていた。



人間と、また二人で人生を歩んでいくなんて。

彼女と出会わなければ考えもしなかった。


これからサオリと二人で生きていく。

どんなに辛い地上げだって、

僕のノンデリカシーと

彼女のタックルがあれば

絶対に乗り越えていけるはず。


そして僕の年収が6,000万円になった時

僕たちはリオで式を挙げるんだ。

サオリ、これからもよろしく。


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