空気が漏れた日

ヒューヒューヒュー

6月のわりに爽やかな風が吹いている。

黒いヘルメットをかぶると

250㏄のエンジンを積んだ彼女にまたがった。

第二京浜を六本木方面へと向かう。 


ヒューヒューヒュー

ヘルメットの隙間から感じる風は

自転車のそれとは段違いに速く鋭い。 


視線をスピードメーターに落とすと

針は時速70㎞/hを指している。 


自転車と比べて、めっちゃ、時短になる。 


さらに強くアクセルを回すと

風になったかのような錯覚をおぼえる。 


ヒューヒューヒュー

僕と彼女が走る首都高はまるでバージンロード。

まるで風達が祝福してくれているかのようだ。 


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妻とは5年前に別れた。

最後に妻を抱き寄せたとき、

妻の体はひんやりしていた。

か細く白い体に触れたとき、

今まで僕がどれだけ彼女に負担をかけてきたのか

感じた気がした。 


ごめんね、と言いそうになった。

でも、それは口に出したらダメだと思った。 


長年寄り添ってきた夫婦の最後が、こんなにもあっけないものなのか

その時、僕の胸に風が通り抜ける音がした。 


ヒューヒューヒュー 


離婚を切り出されたとき、チューブがギュッと潰れたような

息苦しさを覚えた。

片目をつぶり胸のあたりを抑えながら

「わかった」

というのが精いっぱいだった。 


妻もトップチューブにグリップを当てて下を向いていた。

僕と同じ気持ちだったんだと思う。

いや、彼女の方が勇気が必要だったと思う。 


お互いのモヤモヤは、8年という長い年月をかけて

徐々に膨らんでいって、急に 


「パン!」と破裂した。 


妻はタイヤから、

僕は肺から、

空気が漏れた。

ヒューヒューヒュー


その日も6月にしては爽やかな風が吹いていた。 

ヒューヒューヒュー


じっとしていても

妻のタイヤから 

僕の肺から 

たくさん空気が漏れた。

ヒューヒューヒュー 



あれから5年、

ずっとその痛みを我慢していたが

昨日、たまたま偶然、町で妻を見かけた時

心を決めた。



妻に(正確には「元妻」だが)またがっていた男性は

チューハイの缶を持ちながら

とても幸せそうな顔をしていた。

妻は少し困ったような笑顔で左折した。

 

破裂したタイヤは、きっとパンク修理キットで直したんだろう。 


タイヤはとてもスムーズに回転していた。 


僕も前に進むために

破裂した肺を手術で塞ぐことにした。


新しい一歩をを踏み出すために

新しい風を吸い込むために

ヒューヒューヒュー

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