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これって本当にエコなの?を読みながら考える。

この本が結構面白い。
1)「あ〜なるほど、これは簡単にできるね、やってみようかな。」
2)「そんな事はあたしはごく普通に行っている。」
3)「え〜それはちょっと敷居が高いねぇ。」
4)「それってどうなの?昔はそうだっただろうけれど、今は違うよ。」
5)「あたりまえに『エコ』と思い込んでいるだけだったのね。言ってみれば都市伝説的な民衆の思い込みなんだろうな。」
6)「絶対に無理だね。」
 
まぁ〜もっと細かくすれば、項目は増えるだろうけれど、だいたいこんなものではなかろうかな。

ちょっと横道に逸れるかもしれないけれど、この5の『思い込み』が一番始末に悪いのだろうね。
いまだに存在する夜間の交差点・信号等での停車時にヘッドライトを消すところの言ってみれば『ガラパゴス』なのだけれど、こう言う人物に限って「相手が眩しいから、消すのはエチケットだぜ」と言い出す。たしかにね、上り坂気味になっている交差点ってあるのよ。そこで信号で止まっていると、ロービームでもハイビーム角度になってしまうので、これは仕方なく消します。あなたのいう事は正しい・・・・かもしれない。
 
道路交通法第五十二条には「車両等は、夜間(日没時から日出時までの時間をいう。以下この条及び第六十三条の九第二項において同じ)、道路にあるときは、政令で定めるところにより、前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない」と明記されていて、簡単に言うと「車が道路走っているときはライト消しちゃなんねぇだ。」という至極もっともなことを言っているんだ。

っと、こう書くと「法律でも間違っているものはあるんだぜ。」と言い出す人物がいる。こう言う人は、NCISやCIAやFBIやNSAに撃たれてしまいなさいと思う次第です。笑

法律は「その法律が間違っていようが公の場では守りなさい。自分を守って他者も守るための共通認識。それが法律であり民の務めです。」
 
そもそも停車している時のヘッドライトを消すと言う行為は、昔の車(1960年代)のオルタネーター(自動車用発電機)の発電能力が小さい。&バッテリーの蓄電能力が小さい、ヘッドライトがそれらの能力以上に電力を消費すると言う事項に起因することから生じたわけよね。それがどこかの馬鹿が「エチケット」なぁどとえっらそ〜〜なことを言って正義感をひけらかしていたことから広まったワケダァね。

また横道に逸れると、戦前〜1960年から現代に至るまでのまぁ〜この国の車で良いのだけれど、エンジンそのものが「車が走る」ということにどれだけの割合をしめているのだろう?
 
電気、ハイブリッド、水素、ガソリン等『心臓』の選択肢が増えたけれど、それも結果として『走行する』ということに使用する割合が減ったと言うことに起因するのではなかろうかな。

昔の車が走行に費やすエネルギー割合より、今の車はもっと小さくなっているのだろうなぁと思う。

エンジンが回転して、それをベルトでオルタネーターに伝えて、電気を発生して、バッテリーに電気を溜め込む。
この電気で、コンソール、ナビ、GPS、ラジオ、TV、DVD、CD、ドライブレコーダー、バックカメラ、ヘッドライト、リアライト、ストップランプ、車幅灯、iPhone/Androidへの充電、Apple Car Play、Google Play、エアコン、シートヒーター等を稼働させるわけで・・・・・

エンジンというものが純粋に「車を動かす」というという行為に力を用いているのは一体何割くらいなんだろう?と考えてしまう。

さてっ
「エコ」について考えてみようとおもうのだが、一番最初の6つの項目からすると、一体全体何が「エコ」で、何が「エコではない」のかわかんないんだな。

1970年代、太陽電池パネルなんて、そうだなぁ〜誰もが持っているものの大きさを前提にすると、iPhone、Androidの1/3〜1/4くらいの大きさのものしかなくて、それがものすごく高かったんだよね。だってさ太陽電池パネルって集積回路だものね。
SFの21世紀には、かならず太陽光発電が明るい未来でさ。火力発電は大気汚染と石炭等の化石燃料を使う、水力発電は山間部の村をいくつも水没させる。だから太陽光発電はエコなんだ。といっていた。
でも今誰もが知っているよね、そのパネルを設置するってことがどういうことか、それが本当にエコなんだろうかってことをね。

1960年代の代表的なSF作品のサンダーバード。あれは飛行機、ロケット、船舶、モノレール、電車等何もかもが原子力なんだよ。原子力っていうものが少ない原料で莫大なエネルギーを創り出すことができる、省資源であると考えられた『エコ』だったんだよ。

作り出しちゃって、それを止めておいたってそれぞれの原子力発電所の土地を手に入れているいわゆる地主さんにはお家賃が入ってくるだけに、ものごと大っぴらに言えないから肩身が狭いだろうしねぇ。まぁ~何も痛くも痒くもないけれど、動かしても止めても同じだけ金かかるなら、原子力発電所には『自分自身をお片付けするためのお金を稼いでもらって、その間にしっかりと地主様にお支払いするお家賃も稼いでもらって。』というのが言ってみれば究極のエコではないかなと思うんだなぁ。

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