閉じ込められていた記憶が氷解するとき、少年は大人になるきっかけを掴むー健部伸明著「氷の下の記憶」を読んでー

正直、読んだ後にここまでいろんな感情が綯い交ぜになった本というのは初めてだ。
健部伸明著の「氷の下の記憶」である。

物語は、主人公の外崎慎也が東日本大震災直後、それまで勤めていた出版社を辞めて故郷青森に戻ってきたところから始まる。
マッキー先生との再会で、街が全体が不穏のただ中にあっても安らぎに似た感情を覚えたのもつかの間、病室での親子、そして主治医とのやりとり、さらにベッドであらゆるチューブにつながれているはずの父親の蛮行にいきなり地面に叩きつけられるような衝撃を覚えた。
告白すると、この時点でわたしはこの本を親と子の断絶からの回復が主軸とばかり思っていた。なにせ、点滴のチューブを引っこ抜き、血を滴らせながら息子に向かって罵詈雑言を浴びせるその姿は想像するだけで恐ろしい。だが、生きて行くには仕事をしなくてはならない。場面は外崎の再就職先である地元の出版社に切り替わる。
上司にあたる原英俊、カメラマンの篠宮このえ、この二人のプロフェッショナルな仕事ぶりに息を吞むことしばしばで、さらにフランス帰りの演出家、小野寺未玲の妖艶なる登場に女のわたしですらため息が漏れてしまう。地元アイドルの澁谷という少女のアイドルをまっとうしようする姿、特にフェスの場面では臨場感を覚え、もっとも重要な登場人物、七瀬優希との高校時代からの恋愛模様は、一度でも恋をしたことがあるなら胸がとても締めつけられるはずだ。

この小説の最大の良さはなんといっても比喩の美しさと言葉の確かさだ。健部さんの書籍を読んだり、携わった電源系・非電源系ゲームを一度でもやったことがある人にはぜひ読んでもらいたいと思う。初出が陸奥新報という日刊紙であるため、全体的にローカル色が強いのも特徴だ。青森という土地が抱える鬱積した感情に胸が幾度も苦しくなる。また、これは新聞という媒体ならではなのか、全体的に抑制の効いた文体になっている。常にとは言わないが、表面張力ぎりぎりであらゆるものをあふれさせないバランスは、書いている側にとって本当に言葉と感情と理性のせめぎあいだったろうなと思った。

ところで、冒頭の「いろんな感情が綯い交ぜ」に、どこかで味わった覚えがあると自身の記憶をたどってみると、NieR:Automata(2017年スクウェア・エニックス/PS4)のEエンドに行き着いた。ポッド042の「未来は与えられるものではなく、獲得するものだから」と、本のラストの一節が奇妙に一致する。
その言葉自体は、平坦ではある。だが、状況としての絶対的な絶望と、他者と決して分かち合うことがなかった孤独を持つ登場人物に言わせると言葉以上の重みを持つ。ラストの瞬間、暗闇を照らす一筋の光のようなものを感じ、それまで体感した情景が一気に膨れ上がるのだ。

それにしても、この本の切り口の多さには驚かされる。正直、青森のことをよく知らなければ理解に至らないところもあるが、切々と誠実に書かれているためか、知の欲がふつふつと沸き立てられる。いつか氷の下の記憶をガイドブックに、健部さんと同郷のバンド、人間椅子の「無情のスキャット」をBGMにして、彼の地に赴いてみたい。

※このレビューは2021年6月3日にシミルボンで公開したものを再掲しました。

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