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何のアクションもないクラファンってさ。

とあるイベントのクラファンを支援したんですよ。大した額ではないんですけどね。
5月頭に終わって、リターンの発送は6月、となっていた。アーティストからのサンクスレターというリターンを選んでて、イベントが終わったらリストを送るからそこから選んでね、って書いてあって。

残念ながら目標達成できずに、でも、オールインだったので支援額は渡る形になっていて。
なので、リターンもあるわけですよ。

どっこい、その後、終わったよ!の活動報告も、リストも来やしない。
まあ、忙しいのかもしれんしな、と待ってて、それにしても、遅れてます!の報告があってもよかろうと思ってたら、六月も終わりやんけ。

さすがにちょっと不安になり、どーなっとんのか報告くらいせぇやワレェという気持ちをやんわりと(笑)メッセージにしたためて主催に送ったんすよ。

三日経ってやっと返事があったんすけどね。
リターンも正直もうどーでもいいとこ来てるんだけど、一応、希望は伝えて。

何が理由で遅れたのかも説明がなく、活動終了段階での全体への終了報告もなく、御礼ももちろんなく。
御礼メールだけのリターンの人にも6/30になってやっとメールが行ったらしい。

忙しくてできひんのやったら、クラファンなんかやんな!(怒)

って気分です。
せめて説明しろよ、なのです。

説明、大事。
説明さえされれば、別に待つのさ。そもそも気持ちに支援してんだもん。

そのくせ、Twitterでは5月の終わりくらいには、リターン品のお届けが始まってるとかツイートがあって、あんまりにもほかの支援者をないがしろにしたやりかただなぁ…と思いました。
残念だけど、同じ主催者で次があってももう支援しない。

クラファンってお金集めが目的ですよ、もちろん。
でもみんな、その人が実現させたいものやことへの期待や、その人の熱意や思いに共感して支援してることがほとんどでしょ。
それがわかってない主催者って残念だなーと思います。ほんとに。人のお金を預かるんだよ? 丁寧すぎて悪いことなんてないのに。

このNoteをすごく思い出します。
ひとりひとりとの関係性。まさによ。

あらためて注目される「クラウドファンディング」、その戦い方byキンコン西野|西野亮廣エンタメ研究所

久々に書いたNoteがこんな内容ですんません。
ちょっと憤りが強かったもんで。

いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。