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貴方がいないということ。勘三郎さんを偲んで。(再録)

初出:2012.12.13
https://ameblo.jp/uno0530/entry-11426221433.html

亡くなられてしばらくしたときに書いた、メソメソした文章です。でもその時も今も、あまり心境には変化がありません。8年経って、さすがにもう日々の中で「これ、勘三郎さんにいいな」というようなことは感じなくなりましたが、例えば昨夜のNHK「にっぽんの芸能」のような「追悼」であったり、あさイチで勘九郎さんが出られて思い出話をされたりしていると、捻れた、ヘンテコな気持ちにはなります。

あ、そうか、もういらっしゃらないんだっけ、と。

この「あっ」という気持ちからはもしかしたら永遠に離れられないのかもしれません。


朝、空の青さと高さに冬を感じながら、ひどく冷え込んできたので、貴方はあまり喉が強くないし風邪をひかないといいな、と思う。
外苑前を歩くと、銀杏が綺麗に色づいて落ちた葉で黄金の絨毯のようになっている。見せたいな、と思う。

マヌーカの蜂蜜で、とっても美味しいものを見つけた!なんてときは、貴方の喉にいいはずだから今度贈ろう、と思う。
美味しいお菓子を見つけたときは、次の舞台で楽屋に差し入れようと思う。

面白い本や映画に出逢うと、貴方にも読んで、見てほしいと思う。今度、渡そう、と。

舞台を見に行く。この役は貴方の役だな、と思うような役を見つけては、演じるところを想像する。
それが面白ければ、貴方にも見に行くよう伝えようと思い、面白くなければどこが面白くなかったかを伝えようと思う。笑って聴いてくれるはずだ。

今度の舞台に役立ちそうな面白いことを思いつけば、貴方に提案してみようとわくわくする。

毎年の観劇納めは貴方の舞台で、と思い、また、翌年の観劇始めも貴方の舞台だといいな、と願う。

毎月16日が近付けば、先代のお墓参りに行く。
時々、16日当日に伺うと、私よりも先にお線香があるときがあって、貴方がもう来たのかな、とその心を思う。

旅に出れば、貴方へのお土産を誰よりも先に選ぶ。笑ってくれそうなものがいい。
クリスマスが近づけば、今年は何をあげようかと思い、また「クリスマスに歌舞伎見に来るなんてねえ」と笑われるかな、と思う。

5月30日、貴方の誕生日が近付けば、今年は何にしようか、面白いものはないか、街を歩いてはそればかり考える。
貴方が驚いたり、感激したりしそうなものを見つけられると嬉しい。
私が何かを持っていくといつも「なあに?」といたずらっ子のような目をして私の顔を覗きこむ。
どうやら私のあげるものは「変てこなもの」だと思っているらしい。

まあ、当たっている。

夏にはいつも、ミニ扇風機とかスプレー式の冷却剤とか、いわゆる「便利グッズ」を渡していたが、「明日のゴルフに持っていくんだ!」とそんなものでも喜んでくれる貴方は可愛かった。あの顔が見たくていつもいつも、面白いことを考える癖がついてしまった。

舞台が始まれば感激を誰よりも早く貴方に伝えたいと思い、また笑われるな、と思いながら、分厚い手紙を書く。
貴方のところに運ぶと、いつも、三方を切りながら、まるで懸賞金を受け取るようにして受け取ってくれる。
他のものは楽屋に預けても、私の封筒はいつも上着やズボンのポケットにおさまっていた。
車を見送ったあと、帰り道に信号で止まっている貴方の車に追い付くと、たいてい、老眼鏡をかけて車の中でもう読んでくれている。
それをそっと見送るのが好きだ。タクシーの運転手さんに電気消してくれって怒られてたこともあった。

私がものを考えるとき、いつも貴方が真ん中にいるのを感じる。
私のスタンダードであり、私の座標軸であり、私の目標であり、私の「芯」である貴方。

それが私の365日であり、24時間だった。
友達とバカみたいに騒いでいる時でも、全然違う話題をしていても、心の真ん中には、貴方がいた。

あの日からもう一週間。

いつものように、何かを見れば、貴方に伝えよう、とつい、思う。
次の瞬間、思わずはっ、と身じろぎする。大きな震えが背中を伝う。

それから、どうしようもなく、心が暮れる。
これからどうしたらいいのか、と思う。まだ、どうしたらいいのか、わからない。

今日も空はあんなに高く、青いのに。ほかのことは何にも変わっていないのに。
ただ、貴方だけがいない。

貴方がいない、ということ。
貴方が、もう、いない、ということ。

いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。