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ドクターわるわると魔法のくに

子ども向け映画のタイトルにでもなりそうだけど、息子が考えた「われもの」の名前が「ドクターわるわる」

まず、「わるもの」のことを「われもの」とずっと言い間違えている。

この間戦いごっこをしていたら「かあか、われものの名前を考えて、うんと怖いヤツだよ」と言われた。

頭の中に、デビル、ブラック、ダーク、などの単語が浮かぶ。

う〜ん、息子くんは?いちばん悪者ってどんな名前だと思う?

と尋ねると、

少し考えた後眉間に皺を寄せながらこう答えた。
「ドクターわるわる!」

弱そうすぎる。

息子にとってあくは「わる」と「ドクター」なのか、と思っておかしかった。

*****

半年ぶりの、半休だ。

転職をして、半年が経った。
「お前はあれか、入ったものはすぐ使い尽くすタイプだろう」と仲良しの上司に呆れられたのだけど、あながち間違っていない。

ただ今回の有給利用に関してはそうではなくて、仕方なかったのだ。
たまたま父と母が旅行に出かけるタイミングで、金曜日だからだった。
毎週金曜日に息子はダンス教室へ通っていて(そして毎週とても楽しみにしている)、時間が早いので送り迎えをわたしの母に頼んでいる。
今週は母がいないので、わたしが行くよりほかなかった。

とても天気のいい中自転車を漕ぐと、ものすごく自由を感じた。

息子にはおひねの後おやつを食べてから迎えにきて欲しいとお願いされていて、これから2時間と少しわたしは自由なのだ。

どこに行こう、何をしよう。

ずっと食べたかったヤンニョムチキンを食べようとモスバーガーへ向かうともう終わっていた。残念。

わたしが実家に戻ってからこんなに長く両親がいないことは初めてだ。
それは老犬の介護があったからで、もちろん父と母は今でも悲しいだろうし、わたしも悲しい気持ちになることがあるけれど、今も介護していてはこうしてふたりで旅行に出かけることは出来なかったのだと思うと、物事には色んな面があると感じる。

先日息子とアパートの内覧に行った。
この頃実家を出ようかなとずっと考えていて、とてもいい物件を見つけたので見に行ってみた。
新しい家に息子は大はしゃぎで、父がいる家では大きな声も出せないし、ゲームもできないので、「ここに住みたい!!」と目をキラキラさせていた。

案内してくれた女の子はおそらく23〜4歳で、それにしてはほとんどの物件を頭に入れていてテキパキ仕事のできる子だった。

「ここは下にオーナーさんが住んでいて安心ですよ。ほら、廊下にものを置いていても注意されていないってことですから、ゆるいと思います」

見に行った部屋の前のドアには釣り道具や子どものおもちゃが散乱していた。

確かにそれは「オーナーさんがゆるくていい」と思う人もいるだろうけど、わたしは違った。

「この人たちと隣人にはなりたくないな」と思ってしまった。

わたしはどれだけ自分の部屋の中を散らかしても、父と母との共有スペースだけは必ず片付けている。

マンションで、アパートで、他人との共有スペースを散らかすなんてわたしには考えられないことで、それはその隣人とは価値観が合わないことを意味する。

部屋は素敵だったけれど、そこには住まないことにした。

そもそも…と考える。

子ども、特に未就学児を連れての転居は重労働だ。
まず、保育園に通える範囲から出られない。
今の保育園を出て、次の保育園にすぐ入れる保証が今の日本にはない。
だから自ずと範囲が限られてしまう。

その上、今はリモートでなく出社していることで、自宅↔︎保育園↔︎会社の三角形が近ければ近いほどいい。

そうなると物件の数はかなり限られた。

せっかく地方にいるのだ、海のそばの古い家でも改装しながらボロボロの軽自動車で走り回りたいなぁなんてふと考えた。

でもそれだとわたしは別にどこに住んでもいいことになる。
東京に戻ってもいいし、海外に出てもいい。

息子の熱だとか、突然の休み、そういったことに備えて今実家にいるんだよなぁ、、、

難しいなぁ。

きっと、私ひとりなら絶対にこの街にいない。
そう思うなら出るべきなのだけどまだその勇気は出ない。

ただ考え続けよう。

息子のせいだとか両親のせいだとかにして自分を縛り付けるのはおかしい。
そしてそれはただの責任転嫁の言い訳だ。

あなたは、なんにでもなれる、どこにでもいける。

息子にいつもそう言うように。
自分にも言い続けたい。

あなたは、なんにでもなれる、どこにでもいける。

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