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久しぶり、わたし

ずっと行きたかったお店がモーニングをしていて行ってきた。

午前中皮膚科に行くことにしていて(手荒れが限界)息子は珍しくじじばばとお留守番。

皮膚科ってどうして毎度当たり前に混んでいるのだろう。

受付に初回に書く票を記入して出してすぐ「少し出てきます、すぐ戻ります」と告げて冒頭のお店に向かった。
お行儀よく待合室で2時間待てる人間には一生なれない。

秋風が気持ちいい。
ぐんぐん自転車を漕ぐ。

お店はずっと行きたかったので頭の中に場所の地図はばっちり描かれている。
これまではディナーしかしていなくて、静かそうなお店なので、これはいつ行けるかなぁ、息子が大きくなってから…10年後とか?なんて思いながら美味しそうなご飯の数々をこっそり眺めていた。

頭で描いていた通りの駐輪場に自転車を止め、お店に入る。
ひとりを告げてカウンターに案内してもらう。
店内に流れる音楽、オープンキッチンの中に置かれている野菜たち、ピカピカに磨かれたステンレス、カウンターに無造作に置かれた、けれど一枚一枚丁寧に選ばれたことがわかる器。
A4の紙1枚にシンプルにゴシックでタイピングされたメニューが運ばれてきてざっと目を通す。

ああもう文字を見ているだけなのによだれが出るなぁ。
1番上に書かれていたイチジクと焼き茄子とブルーチーズのオープンサンドを頼んだ。ドリンクはアイスチャイ。
ドリンクも8個くらいしか書かれていないけどどれも美味しそうだった。
お酒を飲んで顔が真っ赤にさえならなければ冷えた白ワインを頼むのに。(自転車できているからどのみち飲めないけど)

アイスチャイが運ばれてきて一口飲んだ時点でもうこのお店が美味しいことを確信したけれど、目の前で次々と作られていくご飯たちがどれも美しくて美味しそうでニヤニヤが隠しきれない。

昔働いていたお店は、オーナーが都会で疲れた人に身体に優しいものを食べてほしいというコンセプトで化学調味料を一切使っていなかった。
使うものは厳選されたオリーブオイルや塩、醤油、酢、砂糖、こしょうでそれ以外はソースも含めて全て店長が手作りしていた。
トマトソース、バジルソース、バルサミコソース、ドレッシング、スープの出汁にいたるまで本当に全て。
だから仕込みにものすごく時間がかかる。
コンソメスープっていちから作れるんだ、と驚いてその美味しさにまた驚いて毎日毎日そんなご飯を食べていたら半年後にはコンビニ弁当が食べられなくなっていた。(今はモリモリなんでも食べる)

そのお店はビーガンやベジタリアンにも対応していたから海外の方が多くて、震災後客足はどっと遠のいた。
それでもカウンター席に座る常連さんと他愛のない会話をしたり、そこでひたすら玉ねぎや茄子やじゃがいもを切る仕込みの時間はわたしにとって宝物みたいなものだ、その時も、今も。

客足は戻らないまま、オーナーが店をたたむと決めてなくなってしまったけれど、食べたオープンサンドがあまりにも美味しくて、店長のご飯に似ていて泣きそうになった。

あの頃のわたし、好きだったな。
無鉄砲で、バカで、気持ちを全部開放して、生身の心臓をそのまま全世界に差し出しているみたいな子だった。
エネルギーがありあまっていて、飛び回って、ズタズタに傷ついて。
彼女はどこに行ってしまったんだろう?と思いながらまた泣きそうになった。
というか目に涙を溜めて堪えた。

わたしはご飯屋さんでよく泣くな。

書いているだけでも3回くらいはご飯屋さんで泣いている。

久しぶりに舌の神経に全意識を集中させて目を閉じて味わう。
美味しい、美味しい、美味しい。
大袈裟でいい、きっとこういう瞬間のためにわたしは生きている。

疲れている時って美味しいものも感じられないくらい鈍くなっていて、でもハッとさせられるほど美味しいものを食べた時の回復感とか、脳みそにダイレクトに直撃する快感みたいなものはもうほとんど官能の一種に思う。

胸があたたかく満たされていくのを感じた。

カウンターの中で働くおふたりはおそらくご夫婦で、その雰囲気がまた昔働いていたお店の店長夫妻と似ていた。
綺麗でしっかり者の奥さんと、気難しくて底なしに優しいご主人。そんな感じ。

お会計を…と小さな声で伝えると

「いい朝になりましたか?」
と笑顔で聞かれた。

小説ならば一言何か告げてさっと去るのだろうけど、わたしはベラベラ話してしまった。

「美味しすぎて、泣きそうになりました。すごく、おいしかったです。子どもがまだ小さくて、夜は来られないので。モーニングに来られて感動しました!」

「えー!そんな、こちらも嬉しいです」
と答えていただき、お店を後にした。

ああもう無理だ、どうしようもない、どうにもならないと思った日に、このお店のことを思い出そう。
それで、あのお店のモーニングに行こう、今週はと決めて行くのだ。
お守りにするのだ。と思った。

そういう小さなお守りを東京でいくつもいくつも握りしめていたみたいに、地元でもまたここから増やしていく。

ぐんぐん自転車を漕いで皮膚科に戻ると、ちょうど電光掲示板に番号がうつしだされて診察室に入った。
機械的な会話、ただ薬を処方されるためだけの時間。
少し薄れそうになるじんわりと広がる胸の幸せを目を閉じてまた思い返す。
ああ、美味しかったな。

わたしの繊細さだとか、考えすぎな自意識過剰だとか、本当に手に負えなくていつも投げ出したくなるけど、それがない人より感動が深いという可能性はあって、それはいいことなのかもしれない。そうだ、そうであってほしい。と最近願う。

家に帰るとじじばばとのお留守番が相当楽しかったらしく、こっそり色んなものを食べて口にチョコをつけていた。
バレバレの顔で、「かぁかぁー?さみしかったぁ」と言っている。
「月曜日は保育園?えー息子くんお家にいたいなぁ」
なんて言っていた。

たまにはお互いでろんでろんに甘やかされないとね。

いつか息子ともあのお店にモーニングに行きたいなぁ。

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