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無条件で自分のことを認めることができれば世界が変わる

自分のことを無条件で認めるってよく言うけれど自分のことを無条件で認めるって難しいな、
と思うことがよくある。

一人の時には自分のことを無条件で
認めることができていると思っていても

誰かに会うと途端に自分のことを
条件つきでしか認めることのできていない
自分に気付かされる。

飾り立てた見た目や持ち物や仕事や
実績や知識や趣味や過去の経験、、、

それが無くなっても堂々と人と関わって
いけるのかと言われると自信をもって
"はい"とは言えないし

それが無くなればきっと誰にも見向きも
されなくなるだろうと思ってしまう。

何かを条件にしてしか自分のことを
認めることができていない時って

自分を認める条件にしている何かが
否定されたり崩れたりするようなことが
ある度に物凄く傷ついて

自分が無価値な存在になったような感覚に
陥って自分を見失い自分は脆くて
弱い存在だなと思う。

自分のことを認めるのに条件をつけた分だけ
傷つけられてダメージを受ける部分が
増えることになってしまい

いつも恐怖と不安に
付き纏われることになる。

でも無条件で自分のことを認めることが
できていれば傷つけられる部分が
無いわけだから

たとえ自分のことを否定してくる誰かが
現れたとしても傷つくことはなくなって
その誰かをスルーできるようになる。

ずっと自分の世界には敵が沢山いて
生きることは恐怖に満ちたものだと
思っていたけれど

本当は敵なんてどこにも
いなかったのだ。

自分が自分のことを無条件で認めたら
傷つけられる部分が無くなって

これまで凶器だと思っていた言葉を聞いても
何とも思わなくなった。

敵を恐れて敵から攻撃されないように
生きる必要も

敵に対抗するために強くなろうとする
必要もなかったのだ。

復讐する必要だって
なかったのだ。

ただ自分が自分のことを無条件で認めて
傷つけられる部分の無い自分になれば
よかっただけ。

自分のことを無条件で認めるってことは

ただ単に

"私は私のことを認めます"

と宣言するというだけのことじゃない。

自分のことを無条件で認めるってことは
何も持っていないような何もできないような
自分でさえも認めるということであって

それは自分の存在そのものを
認めるということ。

無条件で自分のことを認めることが
できるようになった時

自分を認める条件にしていたものに
縛られることがなくなって

本音を語り本当にやりたいと思うことを
やることができるようになった。

そうして何かを条件にして自分を認める
という生き方をやめた時

何をやっても感じることのできなかった
自分の価値を感じることができるようになって

何かをやる度に求めていた評価や褒め言葉
といった見返りを求めることがなくなった。

自分の価値を感じることができるのか
できないのかということと

能力とか実績とか評価とかって
全く関係なかったみたい。

自分を認める条件にしていたものが無くても
普通に周りの人達に受け入れてもらえたよ。

"こんな人間は価値がある"

"こんな人間が愛される"

そんなの全部思い込みだったよ。

自分に対して本物の愛を
与えることができたなら

誰かからも本物の愛を
与えられるようになり

自分に無限の価値を感じることが
できるようになる。

無条件で自分を認めることって
良いことだらけだよ。

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