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自分の決断で人生を送るということ ~ニート1日目~


大学をやめます。

「出た出た退学ブーム」って感じですが

まさにそんな感じです。

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自分の人生のケツを拭うのは自分

自分の人生の責任を取るのは自分で

僕は、

親のためにも

祖父母のためにも

彼女のためにも

友人のためにも

生まれていきてるのではなく。

自分のために生まれてきて、いきます。


それは、僕の親も祖父母も彼女も友人も同じです。

自分のために生きて欲しい。

自己犠牲が、その人のためになってるかは分からない。


親は、「息子のために大学に行かせる。」と思ってます。

でも、僕は「大学で学ぶことは、自分の志す所に対して遠回り。」と思ってます。

こんな残酷な話はないです。

自分を押し殺して、親のいいと思ってるものを選択しても僕は幸せじゃないです。


大学教育

僕は、自分自身で経済的にも生きていける。

大学の外での活動の方が学ぶことが多い。

と思ってしまいます。

こう考える大学生は少なからず、今の時代少なくはないはずです。

僕が、未熟な部分もたくさんあると思いますが。


自分のためにあまりならない、と思ったものを器用にこなすことは僕には難しいです。

なので、なんとなーくでも要領よく単位を取れる人を僕は尊敬します。


僕は、卒業できる単位数ではありますが成績が悪かったので

「成績が悪い人向け、臨時講座」的なものに半年前に参加しました。

いくつか、成績が悪い人のパターンと改善策が出てきました。

【パターン】

1.バイトに行って授業に行ってない。

2.夜更かしして朝起きれない。

3.サークルや飲み会漬けの日々を過ごしている。

など…

すると一番最後に

10.「起業したい」などの志があり、大学の授業に意義を見出せない。

「俺やー!!!!!」って思いました。

その改善策に期待をしていると…

「10の人は、そこまでいくと大学の授業に意義はありません。『大学ってそんなもんだ』と思って単位を取ってください。」

というアドバイスでした。

少し失望したのを覚えています。

意味のないと思ったことに労力を使うほど僕は、暇じゃない。


せっかく、大学に入学させてもらえたのに

それを捨てるのは、一般的には勿体無いかもしれませんが

僕は、21歳の一年間の方が価値がありますし

大卒を捨てた以上の、価値が帰ってくる自身があります。


いつになったら、社会と教育の差は埋まるのでしょうか?

教育に反抗したからには、社会と教育のギャップを埋めることは今後の人生で必ずやります。

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親には、最大限の感謝をしているつもりです。

家庭の経済状況もある程度わかっているつもりです。

母親とは、分かり合えました。

父は、もう少し時間がかかりそうなので

長い年月をかけて、恩返しをしていきます。

親の恩に答え続けるよりも、今は自分の目標に対する道のりの決断が大切です。


僕の人生に置いて大切なのは、意味、論理、データではない。

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僕は、

好きな歌を聴くとき

好きな友達と遊ぶとき

お笑いを見て笑うとき

今まで出会えなかったスポーツに出会ったとき

芸術作品に触れたとき

感情で「楽しい」と思えるものが僕の人生を豊かにして幸せにしてくれます。

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僕が大切なのは、「地位、お金」ではありません。

ただ、感情で「楽しい」と思えるために仕事をするときには

意味、論理、データが大切になると思います。

仕事をする中での自分の成長は大いに嬉しいですし、意味を求めるのも大好きです。


僕は、「他人にはわかってもらえない。」

「意味がないと、それを選んではいけない。」

と思う瞬間が、多くありました。

大学を辞めるのは、一般的に考えると「なんの意味があるの?」って感じです。

意味があるものしか選んではいけないなんてないです。

自分の人生です。

人に伝わらなくても、「嫌なものは、嫌。」「辛いものは、辛い。」

親には、笑われましたが

ベットに入って孤独を感じて涙が溢れる日々をもう味わいたくないです。

悩みは、人それぞれ。

それを「大したことがない。」「みんな我慢してる。」

で片付けるから、いつまでたっても幸せになれないんだと思います。


自分で、納得させないで。

僕は、世間的にどうであれ

自分の少しの悩みや違和感に立ち向かう人の味方であり続けます。


戦闘力
 

まずは、自分の価値観が合う環境でいきていこうと思います。

経済的な見通しがたてば、旅にでしょうかな。

旅しても、得るものがあるかはわかりません。

やりたいからやるだけです。死ぬまでにやりたい。


とはいえ、戦闘力が必要になります。

2020年 1月28日を持って僕は社会に放出されました。

ニートかな?

経済的にも自立しなければいけません。

当分は、しっかり働くつもりです。

ふわふわした人間にはなりません。

地に足つけて、ビジネス筋肉(土台)を作ります。

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自分の人生を自分で決断するということ

教育、親子関係、友人関係で悩む全ての方の味方です。

世界は、広い。親も所詮人間であって、自分自身は1人しかいない。

死ぬまで自分のそばに居られるのは自分だから、人のために生きるな。

例え、親であっても彼女であっても。

自分の人生は、自分で決められる。

自分の人生を、自分で決断した人が幸せな人生を送れますように。

心から応援します。



最後に昨日の朝、母が送ってくれた文章を貼っておきます。

【ゲシュタルトの祈り】

私は私のために生き

あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するために

この世に在るのではない。

そしてあなたも

私(親)の期待に応えて行動するために

この世に在るのではない。

もしも縁があって、私たちが出会えたのなら

それは素晴らしいこと。

出会えなくても

それもまた素晴らしいこと。

この詩は、ゲシュタルト療法を始め多くのカウンセリング療法の精神や哲学をよく表しています。何かの犠牲になることなく自分を大切にすること、他人を尊重すること、健全な人間関係はその上に成り立つという事を語ってくれていると思います。その線引きがうまくできずに苦しんでいる人にとって、この詩は救いになるはずです。この詩に出会って生きるのが楽になったという人も多いようです。

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