私が思うことが世間の意見ではないし、逆も然りだということ

森喜朗の発言の一部(「女性がいる会議は長い」云々のところだけ)を聞いた時と、発言の全体を聞いた時、かなり印象が違ったように思う。古臭いジェンダー観が滲み出てるな、と当然思ったけど、発言全部をきちんと読んだ上で思ったのは、「ここまで荒れるんだ」ってことだった。

でもTwitterで流れてくる意見を読んでみたり、ニュースで著名人の意見を見聞きしたりすると、だいたいが「一部であれ全体であれ同じぐらい差別的だ!」って内容で、率直に、意外だなって思った。自分なりにジェンダー観について学んできたし、それなりに関心のある話題だったわけだけど、それで開催を見送れ!なんて過激な意見が出てくるのは本当に意外だった。

この議論で持ち出される「当事者」に、女性である(生物学的にも性自認的にも)私もきっと含まれるんだろうけど、さっきも言ったみたいに「うわー森さんって古臭いジェンダー観の人なんだなぁ」と若干引いたぐらいであって、でもかと言って「差別的だ」とまでは正直思わなかった。「差別されてる」とも思わなかった。これは自分がその問題に無関与なものとして捉えてるからなのかなんなのか自分でもよくわかってないけど、少なくとも発言の全文を読む限りでは、ジェンダー観の古臭さと「森さん、言葉選びが下手くそ過ぎ」っていう2つの感想しか出てこなかった。

この問題に対していろんな人が声を上げて、それで「なるほどそれも差別に当たるのか」とか「ジェンダーってそういうことなのか」とか関心を持つ人が増えることはすごく有意義なことだとは思うけど、あまりにも過激な意見が多すぎてそちらに傾かざるを得ない状況なのでは?とも思う。自分で考えるきっかけをもっと掴みやすく、もっと自分なりの根拠(少なくとも、○○さんがこう言ってたから、みたいな他人任せな根拠ではなく)を持てるような発信のあり方を考えたいと思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?