育て方を間違えたと言われた

育て方を間違えたと母に言われてショックだった。些細な喧嘩からヒートアップした母にそう言われた。

売り言葉に買い言葉でそういうことを言われたのだと理解していてもかなりショックだった。前々からなんか嫌なことがある度にnoteに書いている気がするけど、とにかく今日も「あーこれはnote行きだな」とか思いながらなんとかやり過ごせた。別のことでも考えておかないと、思い出の中の母も、母を誇りに思っていた私までも、全部が全部他の誰でもない母に傷つけられてしまうような感じがして、それに飲み込まれていたと思う。私にとってnoteは掃き溜めツールだけど、そういう掃き溜めツールがあってよかった。

でも台所で喧嘩したせいで目の前に包丁があったのは良くなかった。私の性質上死にたいと思ったら本当に突拍子もなく死に走ってしまうことがある。今日は奇跡的に母の言葉を食らって死にたいと思った矢先に目の前に包丁があったから怖かった。もしかしたら私は気を抜いたら死んでしまうだろうなと妙に冷静に考えて、だとしたらそれは母の前じゃない別のところでそうありたいなと思って何とか持ち直した。

死にたがりと衝動性が共存していて、挙句本当に繊細で考え込みやすい体質もあって、他人に言われる言葉ならまだしも、身内に言われる言葉、特に生みの親である母から言われる言葉に対して過敏になりすぎている節がある。そう頭ではわかっていても、やっぱり色々考えてしまう。

育て方間違えた、かぁ。その言葉は母子家庭時代に周りの親から私に向かって直接言われた言葉だよ。まさかその言葉を、他でもない母からも言われるだなんて。なんだかなぁ。そういうことは、いくらヒートアップしてても言わないでいて欲しかったなぁ。

いつか人は死ぬ。私も母も例外ではない。例外なく生き物はみんな死ぬ。私は死ぬタイミングを自分で決めたいと普段から思って生活している。そのタイミングは今なのかな、と母に言われたことで思い悩むくらいには傷ついた。

母にはそれとなくその言葉に傷つけられたと伝えたけれど、気にしすぎだとか、そんなことで死ぬやつはいないとか、そんなことで悩むやつは中学生以下だとか言われて終わった。

やっぱり母は「死にたきゃ死ね」と私に言ってきた祖母の娘なんだな、と感じた。血は争えない。私も例に漏れずきっとそう。だとしたら結婚して子供産んで、とかもしたくないし、私だけの人生を私だけで終わらせたいなと思う。しかもそれはきっと遠い未来の話ではなく、近い未来の話になってしまう感覚がある。そんなことを考えてるなんて母はきっと知らない。呑気な母には絶対に理解してもらえない。そう思う。

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