理解しても理解できてない

また赤い線を引く。

鬱病、PTSD、HSP、社会不安障害。沢山の人にバカにされて笑いのネタにされた中で理解あるよ、と言われてきたし私自身その言葉に何度も救われた。
 
  ある女の子、鬱病なのも理解して沢山優しい言葉もくれた。私が得意なのはネットや文字だけでの元気な姿で、実際に元気な訳では無い。
 鬱病は無気力だなんて言うけれど全くの嘘。頭の中はやりたい、したい、行きたい、ばっかり。でも体がそれに追いつかない。動いてくれない。それを理解するだなんて難しい話だ。だからその人が求める『その行動』が私にとってできないことであることが分からない。
理解しろだなんて言わないけど、求めないで欲しい、私も求めないから。
  でもその子、私はあなたを助けたのにあなたは私を助けてくれないと言った。助けたい気持ちで溢れてた、でも思うように体が動かなかった。自分の発する言葉でその子を傷つけるかもしれないと思ったら何も声をかけられなかった。弱虫。

その子にとって『自殺を止める』が助けた行動であっても、私にとってそれは寧ろ苦しみからの解放を阻止するもの。求めてないものをよこして、求めて来る。つらい。自殺を阻止するなら、私はあなたのために生きてあげてるようなものなのだから責任を取って。例え世間に称えられる勇気のある行動をしたとして、その自分の行動があらゆる結果を引き寄せたとしても責任が持てるんだろうか。たとえそれが正しい野心、判断だったとしても、他人を苦しめる結果になって放ったらかしたら、その行動はただの自己満になってしまうよ。

ある男の子、鬱病を言っても気にしないよと友達でいてくれた。私が自殺宣言をした時、その人も止めてくれた。自分のために動いてくれるのは有難いが、自殺阻止なんて有難くない。そんなことが言える私は贅沢者ね。悪いけれど、一生私に苦しめと言っているようにしか思えなかった。凄い楽しめるような話をしてくれた。悲しいことに、それで死を選ばないほど軽傷じゃないんだよ。誰かの言葉、誰かの行動で生きようなんて思えたら、死なんて選択しないんだよ。
   今までの話、自殺、病気、自傷、全て話した時、受け入れるよって言ってくれた大好きな友達。元気な私を知ってるだけあって余計大変だっただろうに、長文で思いを伝えてくれて、涙が出た。
でも、ある日から連絡が途絶えて、毎年祝ってた誕生日も毎日のようにしてたLINEもピタリと止んだ。裏切られた、嘘つきだなんて1ミリも思わない。当たり前だと思う、私だって自分を受け止めきれないもの。
  ただ、こんな風に打ち明けて初めてできた大切な人を無くすくらいなら人にこんなことなんか話さなきゃ良かったなって心底思う。私を受け止めきれるのは遠いところにいるからであって、近くにそういう存在がいたら離れてしまうのが普通だよ。だから、私が関わってたあの子は異常でも裏切り者でもなく正常なんだな、って安心した。
素晴らしいひと時の思い出をありがとう。
 自分をさらけ出すのは悪いことだって、再実感したよ。

嗚呼、私はこうやって一生みんなから避けられてしまうのかな。
嗚呼、私はこうやって1人暗い部屋で、雨音を聞きながらブログを書き込むのかな。
嗚呼、私はこうやって前途、眠剤を頼らないと眠れなくて猫のように生きていくのか。

嗚呼、全部嫌になった。そうして私は


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