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ドラマ『呪怨:呪いの家』あの子はまだ押入れで泣いている。

じゅおん【呪怨】強い怨念を抱いたまま死んだモノの呪い。それは死んだモノが生前に接していた場所に蓄積され、「業」となる。その呪いに触れたモノは命を失い、新たな呪いが生まれる。(映画『呪怨』(2003年)より引用。)

 どうやらあの“呪いの家”はまだ取り壊されていないらしいーーNetflixで1話30分×6話のドラマシリーズとなって復活した今回の『呪怨』は1988年から1997年まで約10年間の日本犯罪史をベースに物語が進行していく。史実と並走していく本作の第1話において、テレビのニュースは「原子力発電所の事故で汚染されたチェルノブイリの街全体を取り壊すことを決定した」と伝えている。放射能や放射性廃棄物と同様に、呪いの家が吐き出し続ける呪いは厄介ということだ。

 2011年3月11日、東日本を襲った大地震により福島第一原子力発電所で事故が発生。東北の甚大な被害をよそに、2012年に東京はオリンピックの立候補都市に選定され、2013年には「2020年東京オリンピック」開催が決定する。2020年、東京オリンピックはCOVID-19の影響で延期となっている。急ピッチで建設され、その過程で現場監督を過労自殺させたメイン会場の国立競技場は、その使い道もわからないまま空虚にそびえ立つーー今回の東京オリンピック延期は“貧乏くじ”や“不運”ではない。なぜなら、大規模イベントの開催はリスクも想定した上で決定されないといけないからだ。今回はそれが起きただけ、想定していなかったとは言わせない。問題から目を背け、取り壊されない“呪いの家”は“呪いのシステム”の上に成り立ち、人々の暮らしに侵食していく。

 日本を含め世界中で話題作となった韓国映画『パラサイト』(2019年)においての“家”は(撮影も含め)実にシステマティックに貧富の差を象徴するように機能し、社会階層を「地下室と地上の対比」で浮き彫りにしていた。『呪怨:呪いの家』に2020年の日本に対する批評があるとして、“呪いの家”が何を象徴しているか考える時、呪いの発生地点が地下室ではなく、屋根裏なのは重要なポイントだ。社会階層の上下とは別次元にある天の存在が描かれている点で、本作は間違いなく「日本のホラー」だと言えるだろう。

【シーンのつなぎ、カットのつなぎにサスペンスがあること。シーンとシーンの間に何があったのか、時間はどのぐらい経っているのか、見る者に必ず考えさせる。会話の途中で話者を画面外に置いて、聴いている人物のカットにつないだり、リアクションのカットをわざと見せないこともある。監督がつねに編集も兼ねているのは、こうした仕掛けも演出の一部と考えているからだろう。】添野知生“終わりが見えない青春を紡ぐ、編集と音楽の妙『きみの鳥はうたえる』”より引用→ https://t.co/UbnLwq3qAk

 『呪怨:呪いの家』で脚本を務めているのが『霊的ボリシェヴィキ』(2018年)も記憶に新しい高橋洋であること以上に、本作への期待を高めたのは青春映画の名作となった『きみの鳥はうたえる』(2018年)の三宅唱監督(と撮影監督の四宮秀俊)の起用だろう。『きみの鳥はうたえる』における、「青春時代特有の不安定な移動を正確に捉えた」映像的美点の数々ーードキッとさせるカットの切り替わりとリズム、長回し撮影による空気感の演出、抑制された演技の引き出し方、地方都市(函館)の閉塞感と輝きを捉える照明、バイオレンスシーンの切れ味、とくにコンビニシーンで素晴らしかった同一ショット内での視点と視線、アクションとリアクションの移動などーーこれらはすべて“良質なホラーを撮る条件”とも合致しているので、三宅唱監督を起用したプロデューサーの判断は正しかったと言える。

 『呪怨:呪いの家』は撮影や編集、美術、テロップ、音楽の使い方、社会批評など、「現代エンタメの世界共通言語」で作られている作品のため、(『全裸監督』とは異なり)世界同時公開に耐えうるクオリティになっている。しかし、映像作品としての出来の良さとは裏腹に、本作は多くの人に開かれている(オススメできる)作品にはなっていない。例えば第1話における“東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件”を彷彿とさせるシーン。実際の犯罪事件、実在の犯人たちとの会話で展開していくデヴィッド・フィンチャー監督のドラマシリーズ『マインドハンター』(2017〜2019)との同時代性も感じるが、事件の陰惨さを伝える手法はまるで異なる。4話における“名古屋妊婦切り裂き殺人事件”を彷彿とさせるゴア描写しかり、悲惨な事件を描く“誠実さ”とは別の方向のショック表現になっているように思える。星野源 - “折り合い”(2020年)のMVも制作している三宅唱監督だが、本作においては明確な意志と確かなテクニックで多くの人を寄せつけない嫌悪感を画面に刻印している。それはまるでこの作品の存在が広まることを自ら拒否しているかのようだーー「逃 げ て」ーー鑑賞には注意が必要だと念押ししておく。

【『バットマン リターンズ』のキャットウーマンは死の世界の住人で、言ってみればレイプされ殺害された女の霊の集合体のようなものだとすら言える。自分を歪め破壊し殺した男社会に復讐するために死者の中から蘇ったセリーナには、もはやセックスも生活も未来もない。だからバットマン = ブルースの提案は偽りの気休めとしか響かないし、実際、セリーナが〈恋愛〉の帰結としての〈セックス〉を受け入れることは不可能だ。なぜならセックスは生の悦びの象徴であり、(エクスタシーが死の感覚と結びついているとはいえ)既に死んでいるセリーナとは無縁のものだからだ。】(高橋ヨシキ『悪魔が憐れむ歌』より引用)

 第1話で“女子高生コンクリート詰め殺人事件”を彷彿とさせる形で性的暴行の被害者となるキャラクターの聖美(きよみ)。ここ日本において女性が1人の人間として生きることを妨げる様々な悪習や事件の数々は後を絶たないが、恐ろしいことにそれらの多くは無知や加害者の思惑により隠蔽されている。伊藤詩織さんに対する性的暴行の事件も隠蔽されかけたが、彼女は日本の外で声を挙げることで、問題を多くの人々に訴えた。しかし、残念ながら聖美の叫びは“呪いの家(日本)”を出ることなく、当事者同士の秘密として葬り去られる。

 聖美は性的暴行をうけた直後に導かれるように押入れに入り、彼女の人生の時間はそこで止まってしまう。救いがないのは今回の“呪いの家”で起きる悲劇は過去、現在、未来で延々とループしていることだ。EDテーマのマレウレウ - “sonkayno”はアイヌ音楽で、日本の呪いを描く上で民族音楽の文脈を入れる隙の無さもさることながら、輪唱であることにより本作のループ性を強調している。三宅唱監督は【人間も恐ろしいし(調べれば調べるほどそう思う)、しかしそれ以上に人間なんかより恐ろしいものも確実に存在していると思う】(ツイッターより引用)と語る。「2人のために」とマイホームや家族の幻想に取り付かれた男たちは“呪いの家”に足を運び、恐ろしいものを再生産し続ける。2020年の日本を見る限りあの家はまだ取り壊されていないだろう。聖美は押入れで叫び続けている、この先もずっと。(了)

「ホラーという定規で世界を測り直す」三宅唱が語るNetflix『呪怨:呪いの家』の見えない“怖さ”→https://i-d.vice.com/jp/article/wxqb3q/juon-origins-director-sho-miyake-interview

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