SOS OR NOT

 好きだと思うものに出会った自分が嫌いだ。大切なものを見つけたときの自分が嫌いだ。いつか嫌いになる日の自分がそこにいるから嫌いだ。大切にできなくなる日が来ることがわかっているから嫌いだ。でも、好きじゃないものは受け入れたくない。大切にできないものは今すぐ全部、壊してやりたい。
 あの時に戻れるなら、そんなことすら思わなくなって、思わないことが当たりまえになって、そうやって人は年を重ねていくのかもしれない。いや、きっと重ねていく。味気ない毎日をただ何となく生きて、大きな感情の波が訪れることもなく、永遠の憎悪も不滅の友情も感じることなく、ある日ふと感じる。死後の世界。
 このまま自分はどこに行くのだろう、どこに行けるのだろう、もうそんなことすら思わない。流されるままに、この船が進む方向に骨を埋める覚悟もないけど、自分で死に場を決める元気もない。こうやっていつか私は死んでいくのだろう。
 感情をコントロールできないときがある。笑ってはいけないときに声を出して笑いたくなる。苦しくてたまらないとき、声を張り上げて盛り上がろうとする。楽しくてたまらないとき、生きることをやめたくなる。
どうしようもない、しょうがない、仕方がない、いつの間にかそんな言葉ですべてが割り切れるようになってしまった。もう少し若ければ、ひとつひとつのいさかいに腹を立てて、納得がいくまで理由と原因を求めて、仲たがいすることも恐れずに歯向かうことができただろうに。いつしかすべてを飲み込んで受け入れられるほどの大人になってしまった。
 刺激を感じるのが好きだ。激辛のラーメンを食べ切った時の舌の痺れ、熱すぎるくらいの風呂、リストカットしたときの痛み。刺激を感じているときだけは、生きていることを実感できる。刺激を感じているとき、私は生きている。
 死にたい、死にたくない、生きたい、生きたくない。事態はそんなに単純じゃない。お願いだから、お願いだから、私の行く末は私に決めさせてくれ。これが最後のわがままでも構わない、死ぬタイミングだけは自分自身で決めさせてくれ。
 言葉が通り抜けていく。夢も希望も愛も幸福もちゃんとここに残っているのに、言葉はいつも残ってくれない。手を伸ばしたときにはもう、存在なんかしなかった。一番忘れたくないものほど、一番最初にいなくなって、一番いらないものだからこそ、一番失いたくなかった。

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