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さよなら商業デザイナー 《さよなら商業デザイナー(1)》

これから掲載する【さよなら商業デザイナー -Anti Commercialism Design Psychology-】という文章は2017年に書いたものです。今現在は2024年、現在はもう全く別の視点に立っている自分がいるのですが、当時のままをここに掲載しようと思っています。テーマ『広告よさらば』として、関連性もあると思われるので、少し退屈な連載形式で長いですが、はじめてみます。


「広告よさらば・さよなら商業主義社会」

引退を決意したグラフィックデザイナーが辞職までの心情と経緯を独断的に再考し現代社会を構成するデザインの中に時間泥棒とも呼べる「引退の理由とその犯人」を探す些か反商業主義サイコロジー(・・・とか言いながら単純に辞めるにあたっての私感を書き捨て整理しサヨナラするだけの内容です。)



── 序文として

ただ単純に長年やってきたグラフィックデザイナーを形式上でも、あと僅かで辞めるにあたって、ただ私感を書き捨てるだけの、特になんてことない内容ですが、手記的なものとして、あと僅かな期間だけ、なにかを書き出してみようと思いました。(商業デザインの受注は辞めますが、創作やデザイン制作自体は別の形式に変化させ今後も継続します)

戦後日本・高度経済成長期以降の広告主義・商業主義社会におけるコマーシャル・広告・グラフィックデザインについて語るわけでもなく、著しく主張や批評があるわけでもなく、ただ辞めるまでの心の整理を徒然と綴りながら、個人的な経験と思考の中にある自身のデザイン論に客観的に向き合いたいという理想はあるにはあります。

この職業デザイナー白書的な辞職の言い訳を書いたあと、もっと本当に書きたい内容に続く予定です。それを書くために、まず、不要な意識をここで整理してサヨナラするための随想録のようなものです。

どのくらい書くのかも未定ですし、内にあるものを書き出せないかもしれませんし、途中で馬鹿馬鹿しくなって放り出す可能性もかなり高いですが、まぁ、ただ単純に日記のように書いて束ねてみようと思っています。


大体、本当に私自身は、辞める気があるのでしょうか?
そう思えてしまう自分がいます。

ならば、なぜ辞めるのか?辞めたいのか?辞める必要があるのか?
よくわからない気持ちも多々あるのですが、きっと心のうちなどを書き出していけば、なにかちょっとだけでもわかってあげられるのではないかと、すこしだけ自分自身に思っています。

こういう「白書」的な手記なんてものは、どうせ途中で馬鹿馬鹿しくなって書かなくなってしまうもの。という経験上の思いがあります。

だって、ほんと独り言ですからね。独善的というよりも、とても狭く、偏見に満ちた視点だと思うんですよね。だからたぶん投げ出すと思っています。
そして、そういうことがとても大事だと思っています。

無駄に解決したり、曖昧なものに無理矢理こじつけた解釈や結論など、本当は必要が無いものなのだと思います。

ただ、理由なく、ただずっと辞めたかった。それでよいのだと、予め結論をここに書いておきますが、さて、どのくらい書き出せるでしょうかね。

いまは、そんな最終期間のお仕事が忙しい時期ですので、たまに仕事の合間に気分転換や脳の切り替えのために、そんな独り言を利用してみようと思います。思考や心を書き出すための練習になればいいなと思っています。


「デザイナー辞める」と言い放って

「デザイナー辞める」と言い放ってから、数ヶ月。実際はもっと前から言っていた。もうかれこれ10年くらいそれを言い続けている自分がいるのではないかとさえも思えてくる。

逆算すると、自分の中で仮にも「仕事として名乗ってもよいであろうレベル」と少なからず自身に対して認可するような、そう判断する時点を振り返ると、それさえも10年前程度に思う自分がいて、そうなると、就業上、最初から最後まで「もう辞める」と言い続けてきたことになる。

じゃあ、それ以前はどうであったのかと思い返せば、それ以前の約10年はもっとまた違って「自分はデザイナーではない」と常に言っていた。

ということは、私自身は、経営上や商談上として名刺などにも肩書きとして長年掲げていた「デザイナー」という自分を、一度たりとも認めていなかったのだろうか?

… そんな自分を少し可笑しくもとてもかっこ悪くて、愚かとも思う。


つづく ──

20170122 21:59




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