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【小説】弥勒奇譚 第十二話

そしていよいよ弥勒は造像にとりかかった。まずは大まかな木取りである、墨で榧材に仏の輪郭を描き余分なところを削り取っていく。すでに乾燥が進んでいるので難なく鑿が入って行き二三日もすると早くもおぼろげに輪郭が分かるようになってきた。
ここで一旦手を止めて余分な箇所に墨を塗って行く。これからは塗った墨を削り取って行くことの繰り返しである。削り過ぎれば元には戻せないので神経を使う作業が多くなる。
一か月も過ぎ輪郭もはっきりしてくる頃には疲れも頂点に達していた。
朝晩はまだ冷え込むとは言え外では山桜の蕾が今にもほころびそうになっていた。
いつもの弥勒ならここで二三日休むところだが今回は気力も充実していて休むことなく荒仕上げに入っていった。
忘れないようにと図面を描いたものの夢で見た仏の表情は頭にこびり付いて剥がれるようなものではなかった。意識の中にこれから造る薬師如来像がすでに出来上がっているような感覚で、その通りに余分なところを取り除いて行けば良かった。いつもは手の遅い弥勒だったが鑿を入れるにも迷いが無く自分でも信じられない早さで進んで行った。
夢の場面はその都度大きく変化していくのであった。弥勒にとっては夢で見た事の後を追って彫って行くようになってしまっていた。
「これでは誰が彫っているのか分からないな」
仕事がはかどりお姿が現れてくるのは誠に嬉しいのだが、心の片隅に自分で彫っているのではなく彫らされているのではないかと言う不満でもなくわだかまりのようなものがふっと湧き出るのだ。苦笑いするしかなかった。
しかしながら夢で見る仕事はどれも納得の行く内容で文句の付けどころは無かった。
二三日続けて夢を見ない日もあり、これは休めと言う事かと思い休みを取る事とした。
気が付けば輪郭はほぼ出来上がっていたがこのところの昼間の暑さもあって疲労も限界に近づいていた。仕事場の裏の山櫻はいつの間にか満開となり心を和ませてくれた。季節は知らぬ間に春へと移っていた。
麗らかな陽射しにものんびりと過ごす気にならず一日だけで再び取り掛かった。
まず体躯の仕上げに入った。手先の印相を彫り始めたが夢で失敗する場面がどうしても頭から離れず指先に鑿を入れることが出来ない。何回やろうとしてもあの指を切り落とす「夢」の場面が彷彿として思い切ることが出来なかった。
思い悩んだ末、「恐らく印相は別材で造れと言っているのだろう」と呟くと、弥勒は何を思ったか鉈を手に取ると手首から先を一気に切り落とした。自身でやっておきながら一瞬鼓動が止まったかと思った。
手先を別材で造ることで気が楽になったのか、一度も失敗することなく両手の印相を彫り上げる事が出来た。腕の先に臍穴を掘り両手を差し込んでみると全く違和感がなく自身でも驚くほど出来栄えであった。


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