カラッポの頭が良い氣で満たされ、心も喜で癒されたルートの京都(いよいよ)
もうお昼が気になる時刻になってしまっていたが、京都四条あたりから、いよいよ本日のメインの鞍馬寺・貴船神社へと向かう。
曇空からぽつぽつと雨が降り出す。
向かう山のほうは、やや灰色が暗い雲が立ち込め、雨が予想されるものの、行先自由のきままな出たとこ勝負旅。
そのときはそのときと肚を決め、出町柳駅から叡山電車に乗り込む。
ホームに待っていた展望列車「きらら」は新緑の青もみじをイメージした「メープルグリーン」塗装。
窓側に着席でき、出発。
終点鞍馬までの間、車窓から見える通りは傘をさす人がいたり、いなかったり。これまた微妙だ。
窓辺にスマホのカメラを外向けにおき、タイプラプスをとってみる。
鞍馬到着。
少し雨がぱらついたものの、駅からすぐの鞍馬寺は青空も垣間見え、幸先良いスタートだ。
仁王門のところで拝観料を払い、境内へ進む。
ケーブルカー乗り場は境内の中だ。
ケーブルカー乗り場にはすでに女性ばかりの団体のお客様も並んでおり、満席で出発。乗り切れなくて次に回る人がでるほど。
急こう配の角度は他人様の後頭部を見下ろしながら、なかなかのもの。
頭上の青い空が増えてきているのを見上げながら、登っていく。
朱の欄干に沿って、木造の廊下を少しあるくと転法輪堂の入り口。
同じケーブルカーで降りた人たちは不思議と見向きもせずに石段を登っていった。
転法輪堂の中をのぞいてみると、なんと大きな木造阿弥陀如来座像が至近距離鎮座。
(写真撮影禁止のため、お顔はお寺のHPか、直接見ていただきたいが、)
ホントに近すぎるくらい近くで拝見することができる。
しかも、台座のところから見上げることもでき、「どこにいても阿弥陀様に見られている」の気分も満喫。
阿弥陀様の指とつながった紐も用意されている(知恩院の法然上人像同様)
しばらく転法輪堂で、阿弥陀様との時間を遊ぶように楽しむも、その間訪れる人なし。
混雑とは無縁の鞍馬寺。
本殿金堂の仏像たちは、またそれぞれが微妙な味わいを持ち、昨日・今日とにわかではあるが、同じ名前ながらの何体かを観ていると、違いのゆかしさが感じられる。
ケーブルカーから一緒だった団体の女性たちが、はしゃぎながらお互いに金剛床の三角形のところに立って、1人ずつ順にいろんなポーズをとっては写真を取り合っている。
(この意味は帰宅してから、知った。パワースポットだったんですね、と納得)
天気は持ち直したものの、雨上がりの山道は滑りやすく危険だから、と同行者とはここで別行動に入る。
同行者は鞍馬駅に戻り、そこから電車とバスで貴船神社へ向かう。
わたしは山道を歩き、奥の院を参拝経由して、西門へ出て貴船神社へ向かう。
平坦な道はほとんどなく、場所によってはややきつめのハイキングのようなものだ。
無料貸し出しの杖を持ってこなかったのを、半分悔みつつ、マイペースで回りも観察しながら進む。
危なそうなところには手すりが片側についているが段々道幅も狭くなり、途中からはコンクリート補強された段から木片を使ったものへと変わっていく。
何度か、濡れた土で靴のすべり止めがきかず、ツルッと行きそうになりヒヤッとした瞬間もあった。
奥の院まで到着し、(写真を撮り忘れるくらい、先に早く進もうとしたのかもしれないが)ここからは貴船神社のほうへ足を進める。
そして登りと下りが続く間に、何となく脚もがくがくした気がしてくる。
無意識の習慣って怖い。
この状況、たかが趣味で歩いているだけなのに、できるだけ早く・急いでっで歩こうとしていて、ドスドス無駄な力が入っているんじゃないか、と振り返る。
なるべく足に力入れず、自然の重力を活用して、柔らかく歩こう。
膝とか足首とかのばね力をソフトに活用して省衝撃・省エネ・省ストレスをイメージしよう。
歩き方を少しいろいろ実験しながら進む。
これまた愉快。
段々下りが続き、自分でも降りてきている感覚を味わう。
西門をでて、鞍馬山の結界から離れる。
川は一種のあの世とこの世の境のようであるが、橋を渡る。
地上に戻ってきた気分でほっと一息。
とはいえ、鞍馬山の信仰の原点のように、お山でたくさんの宇宙のエネルギーをいただいてきた気分だ。
この続きはまたの機会に。
読んでくださってありがとうございました。 もしもサポートいただいたなら、明るいことや良い氣分の循環につながる活動に使います。