甘露の雨のような音楽と降誕会
友人でもある住職の奥様に誘われて、郊外の山の上のお寺で開催された音の会にうかがう。
緑の木々に囲まれた1200年代に由緒をもつお寺の本堂は心地よい風が時折吹き込み、古い建物ながらも凛とした気に満ちている。
お釈迦様の誕生日とされる4月8日は花まつりと呼ばれているのは知っていたが、新暦の4月8日に加え、5月8日もまたそうであり「降誕会(ごうたんえ)」と呼ばれることを今回初めて知った。
演奏は地元のプロの音楽家が中心となって出演。
親・子・孫の三代に加え、サポートメンバーによって、クラッシックやジャズから幼い子供たちにも親しみのある曲、オリジナルまでと多彩なメロディーが流れた。
楽器もピアノ、ギター、トランペット、チューバ、ドラム、パーカッションと生の音の波動が私たちの全身を包み、アットホームな雰囲気と素晴らしい演奏のテクニックですべての聴衆が朗らかな笑顔で惜しみない拍手を送った。
お寺と音楽
教会と聖歌隊やゴスペルというポピュラー性に比べると、不思議な組合せのようにも思えるが、有名アーティストも時々法要としてコンサートを行うことがある。
そういえば築地本願寺の本堂には立派なパイプオルガンもあった。
仏教音楽と言うジャンルもあるらしい。
読経の調べやリズムも音楽そのもののような気もすると、あながち親和性は高いものかもしれない。
知恵は宝
般若心経などの読経のあとの住職の法話は、「ちょっと何言っているかよくわからないことをいうかもしれませんが」との前置きで始まり、最近の住職の周りの出来事や感じられたことをとりとめなくお話された。
最後に、「考えに執着しないで、知恵に変えていきましょう。人間には知恵に変える力があります。」と言ったようなことをお話になり、
「知恵が最高の宝です。高めれば来世も有効です。」と締めくくられた。
「高めれば来世も有効」とは?
個人ひとりひとりの「来世」ともとれるが、人類の未来、次の世代と言う意味での「来世」なのかもしれない。
情報過多の世の中で、人間の知恵がもっと発揮され、世界をよりよく変えていくことにつながると、宝は持ち腐れになることなく、宝本来の持つ輝きを発揮していけるのだろう。
頭や身体がリラックスしているときほど、いい考え=知恵は生まれやすい。音楽の力で人々の知恵がさらに引き出されるとすると、もっとわたしたちは音楽に身を委ね、楽しみ、自分を慈しんでいきたいものだと思う
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