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宇多田ヒカルのライブに行った

すっかり秋の風だ。
今年は残暑が厳しいが、昼間ももう汗をかくほどではない。
岩手の秋は早い。すぐに冬になってしまう。
この心地いい季節は1ヶ月ほど。私のカレンダーでは、そこから約半年間が冬とされている。

7月30日
夫と二人で宇多田ヒカルのライブを観に、仙台へ。
子供2人は実家にお願いし、一泊二日、夫婦の夏休みだ。
夫とは、20代前半で出会い,かれこれ20年弱の付き合いになる。

夫とは趣味の話が全く合わない。

漫画やアニメ、音楽と言った、私が青春をかけてきたコンテンツを夫はほぼノータッチで過ごした。
その代わり、私が全く興味のなかった、スポーツ(観る専門)、TSUTAYAの平積み自己啓発本、ホリエモン的な箕輪厚介的な人、社会情勢や儲け話などと言った分野(この分け方からも私の興味のなさが現れている)をつまみながら生きて来たようだ。
共通しているのは二人ともスラムダンクを読んだことがなく、ゲームもポケモン(初代)しかやっていないということだ。声に出すのもはばかられる…
私は興味がなくても、だれかが面白いと思ったものの話を聞くのが好きだったし、夫の話は結構面白かった。私は夫に趣味の話はしなかったが、私が漫画やアニメを観たり、ロックバンドのライブに行っても、咎めるわけでもなく、スルーしてくれた。
The Birthdayを一緒に最前列で観てくれたこともあった。

そんな私たちでも、歳が近いおかげで、ヒットソングは数少ない共通項だ。
音楽を自分で見つけに行かない夫だが、いつも街でかかっていた往年のヒットソングだけは二人とも知っている。

だから、宇多田のライブの当選メールが来た時、何人か浮かんだ中で、夫を誘うことにしたのだ。

宇多田ヒカルといえば、センセーショナルなデビュー当時、ライブチケットなんて、プレミア中のプレミアだった。
ただ、私が彼女を心から素晴らしい…!と思ったのは、もっと大人になってから、というかむしろ30代になってからだったと思う。
車で聴きながら突如思ったのだ、「歌うんまぁ〜。」
あとは、新エヴァシリーズと宇多田ヒカルの親和性に大感動したミーハーなきっかけもあり、「彼女のライブに死ぬ前に1度行ってみたい!」などと考えるようになった。
その機会がこんなに早く来るなんて。

会場は、私たちと同じぐらいの年齢層が多く、見た感じ、所謂「ガチ勢」ぽい人たちは多くなかった。なんか、全体的にサラッとしていた。
とんでもない偏見だけど、多分お酒に強くなく、飲み会に行くよりも、家で撮り溜めたドラマを毎期楽しみにしているような感じの人たち。

会場に早めに着いたので、グッズでも見ようかと思ったが、夫が「トイレに行きたい。」と言い出す。
夫の「トイレ」は、いつも突然やってくる。

長男出産時、帝王切開の手術直前にもそれはやって来た。
コロナ禍の出産で、当日は別室で待機だった夫。朝から2時間以上1人で待ち、やっと術前に「行ってきます。」のあいさつをしに、車椅子を押してもらいながら立ち寄ったら、夫はそこにいなかった。
看護婦さんもアワアワして、
「さっきまでそこにいたんですけどね〜、お手洗いかなぁ〜。」
必死に夫婦仲をこじらせないように取り繕ってくれた。
夫の間が悪いのはいつものことだし、時間も迫っていたので、
「あ、大丈夫でーす。」
と言ったが、たぶん、私は虚無の表情だったと思う。
ちびまる子ちゃんのたて線の空気が部屋に立ち込めた。

そんな夫のトイレ宣言。まあ、いいや。各々行動しよう。夫はトイレへ、私はグッズ売り場へ。

その後、無事合流し、写真撮影ブース(の前)で記念写真も撮った。いよいよ開場、座席に向かう。
ステージ下手側の2階席の中盤。そこそこ近くて、二人とも一気にテンションが上がる。
ツアー名が、「SCIENCE FICTION」。先立って発売されたアルバムと同じだ。
ただ、私たちはこのタイトルが読めなかった。
夫も私もバカ丸出しで、「え、何て読むんだろう…」「ソシエンス?ス、ソサエ…」などと言っていた。
しかもテンションは無駄に高いので声がそこそこ大きかったように思う。
言い訳すると、私は「Science」という単語と相性が悪い。毎回一回で読めない。「Science」は毎回、私の前に現れる時、前に会った「Science」とは別人の素振りで現れる。そして、私が読めなくて慌てるのをひとしきり楽しんでから、毎回同じ顔でニヤリと笑う。その顔を見てやっと、「あ、お前、この前もいた『サイエンス』やないかっ!」となる。…そういうの、ないですか?ハハハ

とにかく今回も読めなくて、結局最後に夫が、「サイエンスフィクション!!」とクイズの回答ばりにハッキリと言い当てた。
夫はこの前にも、宇多田ヒカルの曲を4曲しか知らないということが判明している。
「automatic」「First Love」「traveling」「Can You Keep A Secret?」しか知らないのだ。
もちろん、新エヴァも観ていない。朝ドラも見ていない。
純粋に、小中学生の頃、ヒットチャートを賑わせた宇多田ヒカルしか知らない中年男。
なんでこんなやつが…私でさえも思った。
会話は聞かれていたように思う。周りの空気が冷たく感じた。

しかし、一度ライブが始まると、そんなことはどうでも良くなった。
知らなくもノらずにはいられない、圧倒的な歌唱力。
本当に生で歌ってるよね?と思うぐらい、全部名曲。全部ヒット曲。
途中の演出やMCは、ワールドというか、不思議な感じだったのもよかった。
ラストのautomaticは、新宿みたいな高層ビル群のプロジェクションマッピング。
田舎者の私がいつも思うのは、都会的な曲との出会いが、東京だったら、もっと違った感じ方になっていたのではないだろうか、ということ。
夜でも明るい車窓を眺めながら、混雑する駅での待ち合わせ時間に、都会的で切ない曲と出会っていたなら、田んぼの真ん中、くっきりと星が見える空の下や、誰もいない川沿いの道で聞くよりもずっと心に響いたに違いない。
当たり前といえば当たり前なのだけど、私は、それが逃した人生の分岐点だったかもしれない、と思って止まない。
automaticの演出は正に私の思い描く背景で、聞くべき場所で聞けた感があった。

ライブ直後、4曲しか知らなかった夫もじんわり感動していた。
壊滅的に音痴な夫だが、歌の上手さは伝わった様で、「しきりにどうやったらあんな声出せるねん。」
と言っていた。
夫はこの感動をいつまで覚えているだろうか。残念ながら、多分そう長くはないだろう。
でも私は、夫のそういうこざっぱりしたところも好きだった。間が悪いところも、ミーハーなところも。
そう思えたのは、リフレッシュできたからだろう。
翌日からまた前線での生活が待っている。
夫の宇多田ヒカルへのリスペクトより先に、私のこの気持ちが消えないことを願う。

「夏型ハイテンション病について」

夏型ハイテンション病の原因因子は、潜在的に我々の中にあったはずだ。子供の頃から夏は待ち遠しかった。
それが、ティーンの女子となり、睡眠時間が削られ、ストレスに晒されることで、病的に夏を追い求める奇病となって表面化したのだろう。

でも、とにかく、とにかく楽しかった。
夏というだけで、全部が輝いた。
定期考査をほぼ白紙で出していても、いつもより早く帰れたあの夏の日、カラオケに飛び込んだあの夏の日、私たちはゼロ年代の青春邦画の一幕だった。
たしか、りさんとじぇきゃさんは早退して映画2本とか見てなかったっけ?笑
それは夏関係ないか。

先日一夜限りの復活をした内Pを見て、その時の感覚がザーッと音を立てて戻ってきた。
それはハッキリわかるほど、自分の今の生活では感じ得ない感覚だった。
不思議だ。いつかは絶対に感じていたはずなのに、今はもう自然に湧いてくることはないとわかる、この感じ。
「これが、エモい。」
思わず綾波レイが出てくる。

りさんのいう様に、私も寛解状態なのかもしれない。
今も変わらず、夏が近づくとワクワクする。
でも、それは子どもたちの夏をプロデュースしたいという思いに変わっている。
そして、子どもたちが高二で最高の夏を味わえたら、夏型ハイテンション病の遺伝性が証明されることとなるだろう。

次回のお題は、「最近読んだ本」にします!

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