【ヨルシカ】『アルジャーノン』考察
先日、ドラマ「GO HOME ~警視庁身元不明人相談室~ 」の主題歌として、新曲『忘れてください』が配信されましたね。
その歌詞の端々に『アルジャーノン』を思わせるような言葉があったので、なんか関係あるのかな?と思って考察してみたのですが……
結果、本筋には関係なさそうでした。書いちゃったものはしょうがないので載せておこうと思います。
前置き
この曲はダニエル・キイスの名作「アルジャーノンに花束を」をモチーフに制作されました。
簡単にあらすじを説明すると、知的障害を持つ青年チャーリイが開発されたばかりの脳手術を受け、他を凌駕する知能を手にいれる話です。
ただ、手術後もチャーリイが期待していたように物事は進まず、様々な困難に直面します。例えば、今まで仲良くしていたと思っていた友人が実はチャーリイを馬鹿にしていたことを知ったり、最先端の手術を受けたが故に学会では実験材料扱いされたり。
そんな中、先にチャーリイと同じ手術を受け、同じく実験材料扱いされているネズミのアルジャーノンに親近感を覚えます。
そこに作詞者のn-bunaさんは着目し、この曲が収録されている音楽画集『幻燈』にて以下のように解説しています。
ここでいう「出口」=「創作の出口」に関しては、同じく「幻燈」の収録曲『老人と海』の解説部分で言及されています。端的に言うと「想像以上のものを描くことが創作の出口だが、人は自分の想像から出てくるものしか描けない」という話です。
これらを踏まえた上で歌詞を見てみましょう。
1番
『貴方』は『長い迷路』の中を走っている、つまり『貴方』=「創作を始めた頃の『僕』」です。
『貴方』が心をくれた、というのは「あの頃の経験が今の自分の心を
形作っている」という意味で通りそうですが、目の方はどうでしょうか。
『僕のまなこはまた夢を見てた』とあるので、夢を見るための「目」を得た(夢や目標を見つけた)のが創作を始めた頃であったのでしょう。
そんな『貴方』は『少しずつ膨らむパンを眺めるように』走っていきます。いつか来るゴールの時が楽しみで仕方なく、恐れなんて知らないかのように。
『裸足のままで』というのも、傷つくことを恐れていない無邪気さが表れているように思えます。
それと同時に、『貴方』には小さな変化が起こっています。それに『貴方』は気づいているのでしょうか。また、どんな変化が起こっているのでしょうか。
2番
『貴方』は名前や手もくれたようです。名前=アイデンティティ、手=創作するための手(手段)くらいの解釈でどうでしょうか。
海よりも大きな、砂を流す波。現実では海より波が大きいことはないので、想像の話であると予測できます。
それさえも呑み込んでしまうような『小さな両手』という、現実ではあり得ないようなものを想像してもなお『まだ遠くを見て』、「創作の出口」に想いを馳せていました。
触れていませんでしたが、1番の『空より大きく〜夢を見てた』の部分も似たような意味でしょう。
『頭の真ん中に育っていく大きな木』はおそらく知識や想像力の暗喩です。『僕』は『根本をゆっくりと歩いてい』ますが、同時に木も育っていくので離れられません。
「創作の出口」を目指すために成長し続けても、それに比例して出口も遠くなっていきます。
また、ここで注目したいのは1番サビからの変化です。
『走っていく』→『歩いていく』
『長い迷路の先も恐れないままで』→『長い迷路の先も恐れないように』
先へ進もうとする意思はあるものの、2番サビの方が慎重になっている。はっきり言ってしまえばビビっているようにも思えます。
なぜこういう変化が起きているのかを考えながら、次の歌詞を読んでみてください。
3番
追いつけない人に出会ったり、越えられない壁に竦んだり。それらは『僕』が経験した「挫折」であり、『貴方』が通る道でもあります。
それが一度なら「走るのをやめて歩きにした」くらいの変化かもしれませんが、恐らく『貴方』はこれからも壁にぶつかり続けます。
人は例外なくいずれ死ぬので、ゆっくりではあれど確実に眠りへと向かっていきます。
その過程で『僕らはゆっくりと忘れて』いきます。それは単に脳の容量の問題で忘れてしまうものもありますが、今まで塔のように積み上げたものを、挫折を経て捨ててしまうこともあるでしょう。
そんなとき、『貴方もそれを諦めてしまうのだろうか』。
2番サビで、ここでいう木は知識や想像力であると解釈しました。その木が育っていけばいくほど、陰も大きくなっていきます。
チャーリイがそうであったように、成長することは良いことばかりではありません。夢を見据えるための目を描いても、その前にある大きな壁や人の存在も見えてしまいます。
それでも『貴方』は、あの頃の『僕』は、迷路の先も恐れずに走っていました。
それは、今の自分から見ると無知だったからと言えるかもしれませんが、『貴方』には『貴方』なりに迷いがあったはずです。
なぜそれでも走っていけたのか。『貴方』はどうして『僕』に心を、目を、名前を、手を作ってくれたのか。その原点を思い出すことが大事なのではないでしょうか。
補足・感想
小説「アルジャーノンに花束を」では、急速に知能が上がってしまったが故に未熟な精神とのバランスが取れず、苦悩するチャーリイの姿が描かれていました。
対して『アルジャーノン』では、『ゆっくり』という言葉が強調されています。
私なりの解釈はあるものの、納得してもらえる解説ができそうになかったので記事には書きませんが、その意味について考えてみるのも面白いかもしれませんね。
また、記事を読んで「『アルジャーノン』良いな」と思ってくれた方は『チノカテ』や『風を食む』という曲も合わせて聴いてみることをオススメします。
最後に、記事を気に入ってくれた方にスキを押してもらえると嬉しいです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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