るかぴょんの生い立ち編②




さて、みなさんが知りたいのはきっと私の身の上話ではないのでしょうが描き始めたからには完了させたいのがMAX乙女心というものです。長いです頑張ってください。

15歳

CDプレイヤーと共に家出をしたるかぴょんは祖母の家に転がり込みました。
学校にもバイトにも行かずインターネットに浸かる日々が始まります。
そしてたどり着いたのが声真似配信
囲いだなんだという概念すら知りませんでしたがアニメだけが救いだった自分にとって好きな声優さんに似てる声の人とのコミュニケーションというものは画期的で喜ばしいものでした
恥ずかしいのでこの話はあまりしたくないのです
配信だけでなくSkype会議やらなんやらで家族でもない学校の知り合いでもない、新しいコミュニティに属せた事が特別な事に思えて嬉しかったな〜。まあ媒体は違えど引きこもりがインターネット大好きマンになるのはよくある話というか、もはや当たり前の事ですよね。
もう頭にはアニメ!声優!アニメ!声優!それだけで、声優養成所について調べ始め、祖母に打診しました。
高卒資格を取れ声優のレッスンもできるという学校を見つけ、そこに入学することになりました。

10月、美容師高校を辞める手続きをしに行ったところクラスメイトに一言を求められ
「私は声優になります」と大々的にスピーチを繰り広げました。
その時にはもう私の中では、声優になる!という気持ちが固まっていたんですね。
「卒業発表した総選挙かと思った」と言われました。

11月、夢と希望の詰まった声優学部へ。根拠の無い自信がありなぜかラブライブ声優になれる!売れる!私は声優だ!という気持ちで通っていました、今思うとすごいなあと思うし割高な学費を出してくれた祖母には本当に感謝してもしきれないです。ここまで悲観的に書いてきたけど振り返るとやりたい放題させてもらってるんだよね。(学費等はちょこちょこ返しています返しきれてないけど)感謝しかないです。


16〜17歳

やる気だけはあったのでアイドル声優クラスになる。小さな事務所だったのでとにかく上の人に気に入られるのが近道だ!!!と思いつき、共通の話題を探したり、プレゼントを渡したり(賄賂かな?)毎日、よう目立つ青いジャージを着て意味もなく事務所をウロウロしていました。
その甲斐あってか私の人生で唯一と言える大きなお仕事を頂きまして、たくさんの経験をさせてもらいました。今でもその時の経験が本当に生きています。

るかぽ


この頃からミュージカルにハマる。
最初は高校の課題か何かで何かの感想文を書くとかで(曖昧だね)事務所の先輩が出ているテニミュを見に行く事になります。ニコ動で予習をして。

テニミュ、サイコ〜〜〜❗️❗️❗️

これはあんまり話したことが無いのですが初めてテニミュを見た時、目の前を走り去る不二周助くんに心を奪われ、その時の不二くん、8代目青学不二周助役 神里優希くんのオタクごっこを始めました。初めての推し、優希くんなんだよね実は。
オーディションにラケット持参して、青学の歌やったの覚えてて恥ずかしい忘れたい、なぜかそれで受かった。怖い。(後になぜ受かったのか聞いたらあの場であんな突拍子もない事をできる度胸"だけ"をかったと教えられました)

今は亡きJWorld

そこからはオタクをすることの方が楽しくなってしまい、レッスンはサボる、当時はJKビジネスがギリ成り立っていたのでそういう類の方法で金を稼ぎはじめる、高等部の授業すらまともに行かなくなる、昔は環境のせいにしてたし実際せいにできてたんだけど、この時点で明確に自分の意思で道を逸れ出しているんですね。
キラキラお姉様オタクに憧れちゃった系の芋ヌサ.5ヲタクの誕生です。

そんな状態だったので私はお仕事の大きなイベントには呼ばれず番組の最終回も私はいなかった事になっていました、うける。結構ちゃんと頑張ってたんだけどな。
ちゃんとしてたら横アリ立ててたのになー。
目先の快楽に目が眩み何も考えられなくなるのはこの時から変わってないですね。


18〜20歳

ミュージカルを見に行くことだけを楽しみに生きる、レッスンはたまに行ったり行かなかったり、舐め腐っていました。辞めるって言ってたんだけど高等部の卒業の時期の問題で籍だけ残っていた...かな...?ちょっとここら辺曖昧です。

そんなある日、テニミュの立海キャストが発表になるという日の前日でした、早バレですね。それを見た瞬間、脳天からつま先まで電撃が走ったのです。

私、この人と付き合う!

人生で初めての一目惚れ。
その場にいた友人にこの人と付き合うと宣言しました。
はいはいと流されましたがまさかそんなことになるとは高らかに宣言したるかぴょんですら思ってもいませんでした。


ここからはその方の事をAくんと呼ぶことにします。

その日から私の頭の中はAくんの事でいっぱいです、仕事をしていても電車に乗っていてもご飯を食べていても何をしていてもAくん!Aくんは今何をしているんだろう〜?なんて意識を宇宙に飛ばして電波を受信していました。


Aくんはユニット(絶対にメン地下とは言えない)を組んでいたのでテニミュが始まる前に会いに行ける事が判明しその日のために馬車馬の如く働きました。いざ対面の時。


めっっっっっっっちゃ好き


顔、めっちゃ好き
身長、高くてかっこいい
声、なんか可愛い
つーか、好き大好き好き好き好き好き好き好き

チェキを撮るとお話ができるなんて、なんて素晴らしいシステムなんだ...目がバキバキなまま物販に挑みます。男だったら完全に勃起してた。目は勃起してた。女でよかったですね。

私「はじめまして大好きです」
A「!?ありがとう笑」

何を話したかなんて何も覚えてないんですけど確実に恋をしていました。大好き。
確かその日のライブはAくんの生誕イベントみたいな感じで知らねーオタクが出した花の前で初めてツーショットを撮りました、私が花出したオタクだったら絶対嫌だなあ...。

そこからライブがあれば全てに行きチェキを撮る、お話をする。楽しすぎる。

これ大好きエピソードなんだけど2回目のライブで私は1人で行っていたしオタク同士繋がるつもりも無かったんだけど
A「あいりちゃんは1人で来てくれてるんだね」
私「そうだよ」
A「じゃあお友達を作ろう!
おーいBちゃんー!Bちゃん、あいりちゃん、
あいりちゃん、Bちゃん、はいお友達です!

Bちゃんと私 「「⁉️⁉️⁉️」」


お友達ができました。


その後指輪付きのペンライトを貰ったりなんなりしていたのでここら辺で「あれ?もしかしてAくんって私の事好きか?」という気持ちになっていきます。

いよいよテニミュの本稽古が始まるということでAくんがユニット活動を休止する事になり、そのライブで明らかにソワソワするAくん、挙動不審すぎる、バレちゃうよ!と思ったことを覚えています。予想通り(予想通りだったんだ)連絡先を聞かれまして、予想してたので家電 携帯番号 LINEのID 住所 SNOWのID 思いつく限りの個人情報を書いたメモを用意してありました。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

状態になりその日の夜電話をして、お付き合いする事になりました。

3ヶ月後
A「役者に集中したいので別れたい」

別れました。

デートに行けたのは1度だけ、ディズニーシーに行きました。
私が物販で「彼女と行ってね笑」と渡したチケットで。夢、ある〜〜〜〜〜❗️

私がお土産であげたけろっぴ
その後なぜかCの家で見つかる。
貸すなよ。あげるなよ。まあそのくらい私はどうでもいい存在になっていたんだと思います。


そこからは本当に順番とか諸々あやふやなんだけどC、Dくん達となんやかんやあって、あぁAくんともまた会いたいなと思うようになります。

冬、私は編入ではなく再入学という扱いだったのでこのくらいの時期に卒業証書が家に届きました。祝、高卒。祝、就職。
きっかけになればいいなという下心でAくんに卒業証書の写真と共に久しぶりにLINEをしました。
あれ、普通に連絡返ってくるじゃん。
え、これ普通に会えるくない???

BINGO!です。
ビンゴビンゴあなたに巡り会えた〜


どういう気持ちの移り変わりがあったのかはわからないし、わかりたくないんだけれど。なぜかお付き合い中は会うことが難しかったのに簡単に会う予定を立てることができました。

あ、あくまで、お付き合いって言い続けますよ
私は。
Aくんはそう思ってなかったとしても君が付き合ってくださいって言ったんだからね、覚えてねぇって言いそう!酷い!覚えてろよ!こんな昔のことずっと擦られてて可哀想!記憶から消されるくらいなら君にとっての汚点として墓石に名を刻ませてくれ。だめ?勝手に刻んどいた!


Aくんと会える日々はとっても楽しくて、気持ちよくて、酔いしれていて、なのに心がどんどん暗くなってバランスが取れなくなってて、上手に眠れなくて、起きれなくて、
それでも嬉しかった。
私を特別な子にしてくれてありがとう。
とか言いつつ他の人達と会ってたしやることやりまくってたんですけどね。
ごめんちょ。

まあそんな幸せ、いや不幸なのかも、甘ったれた時間は長くは続きません。泣きすぎて何話したかは覚えてないけど突然もう会わないという連絡がきたのでした。

号泣き(ごうなき)

あ、そう言えばここらへんでアイドルになる
就職したのに今やりたいことを紙に書き出した時、あれ?仕事っていつでもできるけどアイドルって今しかできなくない!?という思い立ちでアイドルになる。
仕事がいつでもできることだと思っていた私へ、仕事はいつでもできるけど選択肢はどんどん減り、社会の歯車にならないまま生きると、いつでもできると思っていた仕事に就くことはできなくなりますよ。私より。



そして少し期間を置き

しねちゃん爆誕です。

ここまで長かったね。
お久しぶりです、しねちゃんです。
桂言葉ちゃんをアイコンにしていたら桂言葉ちゃんのガチオタの方から言葉ちゃんをそんなアカウントのアイコンにしないでくれと頼まれて大人になってからはじめて大人から真面目に怒られました


20〜22歳

合法でお酒が飲めることになり歌舞伎町へいざ参らん♪
まんまとハマる。バーテンダーと付き合う、ここで自分がモラハラ気質なことに気づく。
本気でごめんねと思っています。ボーダー大爆発っていうか今日まで出会った人全員にごめんなさいと思ってる。人間関係上手くできなくてごめんなさ〜〜〜〜い!!!!

程なくしてまんまとホストにハマる、竹虎で婚姻届を書いたりした。ブロンを食べ始める。リスカした血でキッチンに文字を書いたりした。そんなに思っていたはずなのに当たり前のように他の男と遊んでた!それなのに自分にだけ好意を向けて欲しかったんだよー
あーん!このバカボダ女ーーー!!
コロナ禍になり、7MEN侍にもハマってたなあ!配信だけだったから見るのが簡単だったんだろうね。(SnowManもその時期)

リスカの加減を間違えて腕の腱が切れかける

病院の人「切るなら背中とかにしたら?」

マンションから飛び降りる

3階から飛んだんですね、膝にカサブタができたくらいしか怪我しなかった!
私って頭がおかしい代わりに身体が頑丈なんだと悟る。
2日後普通にデリヘル出勤してシーシャ吸ってた。強い子。この時家出したぶりに母親と会話をする。泣いていた、それはそう。こんな娘で、孫で、姉で、姪で、ごめんなさい。

シーシャ屋さんで書いてもらった似顔絵



マンションから飛び降りるPart2

次は4階から、またもほぼ無傷。
骨とか折れた事ないの...
病院で「本当に飛び降りたのか?」と問われる
これには流石の母もお怒りに、祖母の家へ強制連行。記憶が本当に途切れ途切れ。
10階に住んでいたのだけど、10階から下を見た時に怖くて、こりゃ無理だと思ったのは覚えてる。死にたかったんじゃなくて助けて欲しかったんでしょうね。

仮病する時使ってもいいよ♡


23〜24歳

佐久間大介に狂う

なぜ?


「VTuber」と言われたうちわ


入場料10万に病む、佐久間いるから男関係いらん卍という気持ちでこの期間お客さん意外とそういうことしてなかった気がします。あ、待って嘘、友達の推しと繋がった!ラッキー!
手術したりもした。裁判になったりもした。

25歳(今)

やっと今です!ここまで読んでくれた人ありがとう!そしてお疲れ様!私はもうなんの話してたのかすらわからなくなってきていますよ!生い立ちって今までの事バーッと書けば書ききった事になるよね!なった!達成感〜!
風俗を卒業して今はクラブで働いています。クラブって言いたいだけ。
病状は(省いたけど境界性パーソナリティ障害と双極性障害と診断されています)新宿にいた頃までに比べたらだいぶ良くなっていてボーダーも落ち着いてきてる気がしてます🐰
そうだ、SexyZoneのことが好きになりました。
誰が好きとか特にない!みんな好き!辞めないで!!!!!!辞めないで!!!
あと無所の子もひっそり好きです、14歳、拳すぎる。


25歳にして飲み歩く事を知りました、遅咲きです。たのしー。ま!楽しいことだけじゃないですけどね。みんなと同じように、お休みの日にふつーに遊んでふつーに飲んでます。
みんな大事なお友達。なかよぴ。いぇい✌️
これを読んで「るかぴょん!?」となったそこのあなた、大丈夫です。私はただの友達です。わざわざ自分から楽しい時間を壊す様なことは致しません。ぴーすぴーす✌️
明るい地獄と言われているそうです。
あんなに死にたいと思っていたのに今では死にたくなさすぎて酔う度に「死にたくないなー!」と帰り道に叫んでいます。元気になりました本当に

エンマ様?

私はこれから一体どこに向かうのでしょうか!不安です!!!
地獄をどこまで広げようかな!
お前もお前もお前もお前も全員地獄に引きずり込んでやるからな。
あとTwitterでも言ったんですけど今更暴露とかしないですよ!みんな安心してー😭
これにて生い立ち編終わり!

幸せになろうねぇ!


元気になったるかぴょん












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