植物がやっていることは、太陽エネルギーの貯蔵。「貯蔵」である。
人間の作った電気は貯めておくことが難しい。
ところが、自然が作った、木や、石油、石炭は、個体や液体の状態でエネルギーを保存して置いておける。
太陽光発電で太陽エネルギーで電気を作り出しても、それを置いておくのが難しい。
電気はそのまま置いておくのが難しいのだ。
結局、化学エネルギーや重力エネルギーに変換しておくことになるのである。
植物は、永遠と長い時間、太陽エネルギーを粛々と地球表面に蓄積していく。
ただそれをやっている。
で、それは何のためなのだろうか?
人類は、過去の石炭、石油などを、使いまくっているが、それが、本来の目的だったのだろうか?
結局、僕らは、この地球の長い歴史の中で、100年くらいしか経験することができない。
100年前に生まれていたら、インターネットもなくて、植物が、石炭、石油の原料だったことも知ることがなかっただろう。
太陽光発電もないし。
こんなことを書き込むこともなかっただろう。
わけがわからない。
僕らが気づくか、気づかまいが、そんなことを関係なしで、植物は粛々と、永遠と太陽エネルギーを貯蓄していく。
ふと、考えてみる。
イーロンマスクが、火星に行きたがっている、
なるほど、確かに一理ある。
植物が貯めた大量のエネルギーをつかって、やる意義があるとすれば、地球外への進出にあるというのは、ありな話かもしれない。
植物は、地球から動かない。動物は移動できる。
動物は植物の種をもって、別の星へ移動する。植物は別の星へ進出する。
もしかすると、地球の生命はそうやって別の星から来たなんらかの種のような構造によるものなのかもしれない。
こうやって超長期的な視野をもって考えると、エネルギーの最終使い道は地球から出発することのなのかもしれない。
しかし、それにしても、そうやって、次々に星を渡って、生命を広げて、そしてそれが何か意味があるのか?という問いが生まれてしまう。
考えても仕方ない。
しかし、仮説として、植物がしているのは、太陽エネルギーの貯蔵。
動物がしているのは、植物の種を運ぶ。
(それのために、エネルギーを消費する。)
これで、ある程度、納得感もある。
どうだろう?