ゲーム依存症は徐々に進行すると考えるべきである。(ゲーム依存症を考えるシリーズ11)

ゲーム依存症であるのか、ないのか?を論じるというだけでは、予防策としては弱い。

ゲーム依存症は、ある日突然なるものではないと思う。
ビデオゲームをすることで、徐々に進行し、それが社会的、生活的に問題化したときに、ゲーム依存症とあつかうことになるだけであり、本質的には、進行性の症状だと考えるべきだと思う。

そう考えたときに、入口となるところは、要注意しなければいけないだろう。
例えば、ニンテンドーのゲーム機は、子供向けに販売されて、ゲームソフトも子供が気に入りそうなかわいいキャラクターがでてくる。

しかし、ゲーム依存症を予防するという観点から考えると、そもそも子供向けゲームを用意するという発想が間違っているのかもしれない。

例えば、それは、子供向けの弱アルコール入りのジュースを作るとか、低ニコチン入りの子供向けのガムを作るとか、似た例を考えるとそのおかしさがわかるだろう。

ビデオゲームは、それらに比べて害が少ないと思われているので規制されていないが、しかし、実際、子供たちは狂ったようにビデオゲームをやりたがるのだから、そのアディクション性は、疑う余地もない。

余談だが、子供でも買えるドラゴンクエストでは、毎回カジノがでてきて、子供たちが最初に遊ぶスロット台はドラゴンクエストだろう。
これはおそらく、「ギャンブル」はだめだが、「ギャンブル性」は規制が甘いために、そういうことができるんだろう。実際に、ギャンブルがやばいのは、「ギャンブル性」なのに、貨幣をかけなければOKみたいになっているので、そこら辺の技術がビデオゲームには用いられているので警戒が必要である。

この記事でいいたいのは、ビデオゲーム依存症が、徐々に進行すると考えた場合、
最終的にいわゆるFPSやMMO、ソシャゲなどの、ひどいゲームデザインのソフトだとしても、そこに至るまでに、最初はもっと、マシなゲームから入ったのだと思う。

最初からいきなり依存性の高いソフトにつっこむ人もいるかもしれないが、大部分は、色々回ってそこにたどりついたと考えると、その入り口になっている軽量的なソフトの時点で、やらないようにすることがビデオゲーム依存症の人を減らすという予防策としては重要に思えてきた。

そもそもとして、ビデオゲームは、次々と新しいものが発売され、その内容や影響が、購入前にはわからないわけで。
つまり、購入者は、始める前はそんなことになるとわからないというフェアではない関係がある。

例えば、スプラトゥーンというゲームが、中毒性がやばいらしいが、じゃあスプラトゥーンが出てきたときに、購入した人は、そんなやばいソフトだと思って購入していないが、やってて、気づいた時には、もうアディクション性にやられてしまって、やめられなくなっているわけで。

つまりは、入るのは簡単だが、出るのは難しい罠みたいなものだ。

その他にも、友達の家にいって、一緒に遊んでいたら、ハマってしまってしまうとか。ひでえ話ではないか。
まるで、友達に依存物質をすすめられて、やめられなくなる若者のようである。

ビデオゲームは、それぞれ、人を夢中にさせたり、またやりたくなる、また買いたくなるような仕組みがある。
それらに触れているうちに、ビデオゲーム依存症は進行し、最終的に社会生活の問題として表面化したときに、ビデオゲーム依存症といいだすのだろうが、その時はたんに、表面化したときであり、ずっと、徐々に進行していたと考えるべきなのだ。

FFで戦闘後のファンファーレーを繰り返し聞いている時、
スーパーマリオで、クリボーを踏んずけた時、ゴールしたとき、
ドラクエ5でモンスターが仲間になりたそうに起き上がった時、
ポケモンの色違いを見つけたとき、
マリオカートでアイテムを取るとでるスロットみたいな演出の時。

ビデオゲーム依存症が徐々に進行していくならば、最初からしない方がいいし。
ずっとしない方がいい。
新しくでてくる新作や、新しいタイプのソフトも手をださないほうがいい。
それらは、どんどん人にプレイさしたり、お金を回収したりする技術が磨かれて投入されているからだ。

僕らは新しいものに、弱い。
でも、新しいものは、それが何なのか購入者側からはわからない。
制作者は語らない。マジで語らない。
このゲームは、こういうところを工夫して、プレイヤーが夢中になるように作りました、などという説明は一切しない。
そういう制作の裏側は一切製作者から語られない。

購入者は新しいものに飛びつき、気が付いたら、それにやられてしまって、やめられなくなってしまうということが起きてしまう。

ひどい話である。

本当は、公的機関みたいな、ユーザー側に立って、ビデオゲームを分析し、こういう要素があります。という分析批評みたいな作業がいると思う。

しかし、現実には、ゲームレビューを載せているところは、全部宣伝なので、悪いところはかけない。

一応年齢制限とか、内容でA,B,C,Dなどのラベリングはされているが、暴力表現とかを規制しているだけで、ビデオゲーム依存症の観点からは種類が違う。

ビデオゲーム依存症の観点からなら、スプラトゥーンや、FF11、ドラクエ10も「アディクション性高」指定のような指定が必要になる。

ソシャゲのようなアイテム課金ではなくても、
・デイリークエスト
・ガチャ
などの要素があれば、それはソフトに記載して、危険性として記すべきなのである。

ながながと書いたが、結局のところ、
ゲーム会社は、ビデオゲームでお金を稼ぐためにやっているわけで、
それはどうしても、
何の役にも立たない、何の意味もないビデオゲームを人に、欲しがらせて、やりたくなるように仕向け。価値があるように錯覚させることを目的としているので、
どうやっても、ビデオゲーム依存性になるような仕様で作り上げてしまうということがある。

それはゲーム作っている人たちが一番わかっていることだろう。