果実とは何か考えたことがあるか?
僕は、今日ふとドライブをしながら、「森の成長」はある規模でそれ以上大きくなることがないことを不思議に思った。
木はある程度大きくなると、成長が鈍化し、それ以上伸び続けることがなくなる。
何十年もたった木は、多少太くなるが、最初のころの勢いで高くなったりしない。
で、その代わりに何が起きるかというと、
果実をつけて、それが地面に落ちるのである。
ニュートンは、リンゴが木から落ちることで重力のヒントを得たという逸話があるが、
僕は今日、そもそもなぜリンゴができたのか?と唐突に疑問をもった。
それまで、当たり前すぎて気づかなかった。
リンゴの木はリンゴの実をつけることに疑問を抱かなかった。
前々からおかしいと思っていたのはある。木1本からなる実の量が多すぎるということだ。
木1本が生えているスペースに、また生えることのできる木は同じように1本である。
それに、一つの木は何十年も生えている。
つまり、今は生えている木が倒れないと同じ場所に新しい木が成長する余地がない。
なのに毎年毎年大量の実を落とすのだ。
ドングリも、イチョウも同じように。
そこで思いついたのは、
果実とは、「単位面積当たりの太陽エネルギーの余剰」であるというおもいつきだ。
その木が成長するのに、使われるエネルギーを確保した後に、それ以上の太陽エネルギーを受け取っているので、それを果実として化学変換し凝縮し、個体や液体に変換して、最終的に地面に落とす。
これが木がやっていることで、果実の正体である。
こんな風に解説されたことは俺もない。
しかし、太陽エネルギーの観点から考えたら、この解説は正しいと思う。
木は、成長したあと、その後の太陽エネルギーを果実として、地面に落とすのである。
あと、おそらく、根を通して、地下にも有機物として太陽エネルギーの変換物質を供給していると思う。
これが、木がやっていることで、そして、木がある程度成長がすると、それ以上大きくなることをしなくなり実をつけることの理由だと思われる。
まあいえば、勝手に太陽エネルギーを利用してソーラーパネルが、自己作成され、作成された後は、エネルギーを外部に供給するようになるシステムと考えればいい。
それも、最初は小さな草などから徐々に大きいものに自動で発展していくというとんでもない仕組みになっている。
僕は、今日まで果実がなにかなんて考えたことがなかった。
太陽光がずっと降りそそいでいるのに、木の成長は止まるということからこの記事を思いついた。
おそらく、一般市民のほとんどが、僕と同じように果実とはなんなのか考えたこともないだろう。
僕たちは太陽エネルギーを食っているのだ。