放置ゲームはわりと人生を侵食する危険なジャンル。(ゲーム依存症について考えるシリーズ ⑥)

クッキークリッカーを代表として、PCやスマホ向けには、クリッカーと呼ばれたり、放置ゲームと呼ばれたりする、ゲームのジャンルがある。
数字が増えていくので、インクリメンタルゲームと呼ばれることもある。

これらは、基本的に、操作が非常に単純で、ほとんどプレイヤーがやることがないようなソフトになっている。

本当に、ほとんどのソフトは、内容がない。最初は、操作したりクリックしたりすると、影響が大きいので、さわるが、徐々に、待ち時間が増えていき、最終的には、一日一回確認するような、プレイになる。
で、終わりがあるやつは終わるし、終わりがないやつは永遠終わりがない。プレイヤーがやめることにしないと終わらない。

で、問題は、このほとんど放置ですむようなソフトが、意外に、意識を取られ、優先順位が高くなり、人生を侵食してくるというやばさがあることである。
いうなれば、変に危険なソフトなのである。子供に与えてはいけない。
たぶん、これを悪用すれば、なんかわるいことに使える気もしないでもない。

ただ、一回飽きて、目を覚ますと、どうでもよくなるかもしれないし、また別のインクリメンタルゲームに手をだすかもしれない。
とりあえず、従来のゲームソフトと違って、変に依存性というか、よくない要素があるので警戒しておくべきジャンルの一つである。

これらのソフトは、従来のゲーム機では、たぶん販売していないと思う。
まず、ゲーム機は、起動が遅く、一つのゲームが、占有するので、相性がよくないのだろう。
PCと、最近ではスマホにたくさん提供されている。
だから、ゲーム機に慣れた人でも免疫がないので、油断すると、この「内容のないゲーム」に絡めとられてしまう危険性がある。

基本料金無料のソフトと相性がいいために、無料で、ダウンロードさして、最初は気分よくプレイできるが、途中から、なんか意地悪い設計になっていて、数字が増える速度を早くするには、アイテムを購入するように促されたり、広告をみることで、早く数字が増えるようになったりする。

まあ、内容もないし、ほとんどバカみたいなソフトなのだが、それでも、習慣性があるというところが問題点だ。

プレイしている人も、こんなん何の意味もないと思いながら続けてしまうところがやばいところなのだとおもう。

で、なんでこういうことが起きてしまうかというと、たぶん、初期の数字のインフレは、最初の興奮だけで、
実際の依存性の形成は、放置時間に対する報酬の設計ではないのかと考えた。

つまり、ゲームをプレイしていない時間が、だいぶ空くと、次にプレイしたときに、たくさんご褒美がもらえるという仕組みで設計されているという点である。

これはソシャゲのデイリーボーナスに近い報酬である。

放置ゲームでは、プレイヤーは、ゲームを起動して、画面をみていても、ほとんど、進行しない。
普通のゲームと違って、ものすごく、進みが遅いように設計されている。

そのため、ゲームをずっと立ち上げておくか、もしくは落として、何時間も後に起動することになる。

そうすると、次に見たときには、たくさん数字が増えている。これが、報酬的に働く。オフライン報酬といって、ゲームを起動していなくても、次起動したときの間の時間を計算して、数字が増えるタイプも多い。

このような仕組みによって、ある程度、長く時間を空けて、起動すると、報酬がもらえるということに、脳がやられてしまうのだと思う。

そして、その数字を使って、たいていは、数字の増える速度を加速させるように、ゲーム内設備を購入したりするが、そうすると、また数字がほとんどゼロになってしまう。
で、また長時間、間をあけて、起動すると数字が前より増えている。これを繰り返すわけである。

そして、これが続くと、もっとも時間の空くであろう時間帯は、寝てから起きるまでの間のために
起きてすぐに、ソフトを立ち上げ、増えた数字を確認するという作業をするようになる。つまり、放置ゲームが、生活のなかで、起きて一番にするような優先順位のたかい作業に格上げされてしまうのだ。
(なんの意味もないのに!)

起きてすぐの時間帯は、その日の予定を考えたりと重要な時間帯だ。そのタイミングで、放置ゲームをやってしまうことで、ゲーム世界の情報が、脳内メモリにするりと入ってきて、他の現実の日常のことの情報を押し出してしまう。。

普通のゲームソフトは、自分が起動した時に、自分のなかで始まり、そして、プレイして、終了すると、ゲーム世界も終わる。
そういう感覚で遊べる。

ところが、放置ゲームは、自分がゲーム画面を見ていないときに、ゲームが進行しているように錯覚するような感覚をいだかせるような感じになっている。
これが、ゲームソフトとして、非常によくないのではないのかと、思う。
起動してなくても、ゲーム世界があって、それが進行しているという錯覚を抱かせるソフトは、たぶん、悪いソフトだと思う。
ソシャゲやMMOもこういった要素を持っている。

放置ゲームは、何も操作をしなくてもいいからいいではないか。と思うかもしれないが、まあ確かに、MMOで8時間操作をするより、何もしなくても、レベルが上がる放置ゲームの方がマシだろう。

いや、しかし冷静になってほしい。じゃあ、自分で操作もせず、起動しておくと数字が無意味に数字が増えるソフトってなんなのって話。

そして、それは、単に、起動しているだけではなく、生活のなかで意識を意外と占有して、優先順位の高いものになってしまっていく。

どういいわけするのだろうか。

そして、もうこんなもの、意味ない、消そう、と思うだろう。
そして、消そうと、手を伸ばすと、

前回から時間が空いていると、起動してしまう。増えた数量がもらえるからだ。

そして、それを使って、またゼロになってしまうと、また、時間をおいて貯めたくなる。

放置ゲームは、転生といって、進行をリセットして、数字の増える速度が加速するようにするコマンドがあることが多い。

これによって、永遠にこのサイクルを繰り返すことができる。

プレイヤーは、こんなの、無意味だ。と気づいているだろう。
だけど、それを止められてないとしたら、

これは危険なジャンルのソフトではないだろうか。

この数字には意味があるんだ、大切なんだと思っているプレイヤーは、それはそれでおかしい。

とりあえず、まだやったことない人は、しないようにしよう。子供には与えないようにしよう。

全体的に、ビデオゲームは数字が増えるということで、人間の思考をバグらせるが、スクリーンの表示の数字が増えても架空のことなので、何にも実際は増えていない。

たいてい、プレイヤー側の数字が増えても、敵だとか、の相対する数字が同じように増加するので、バランスするように設計されている。
なので、プレイヤー側の数字が増えても、なにもかわらない。永遠にバランスする。

基本料金無料の放置ゲームは、終わりがちゃんと設計されておらず、ダラダラと続けれるようになっている。

こういうのも、ゲームソフトとしては、よくない設計だと思う。
しかし、
確かに、終わらない。そして、操作しなくていい。という要素は、何か、逃避するのに、起動して眺めているのには、「使えてしまうソフト」なのかもしれない。
でもそれは、従来のビデオゲームではなく、ビデオゲーム風のソフトとでもわけるべきである。

もう一つ、放置ゲームは、間違った考えを植え付けてしまう可能性がある、放っておけばどんどん良くなっていくという考え方だ。

放置ゲームは、放っておけば、どんどん数字が増えていくが、
現実のものごとは、ほっておけばたいていは状況はわるくなり、ひどいことになってしまう。

放置ゲームに極端に脳をバグらせた人は、現実の問題を放置して、いつかよくなるはずとおもってしまうようなことが、おこってしまってたらそれはそれでおそろしい。
そんなことはあるのか知らないが、こういったゲーム内の報酬構造が、現実の認識に影響を与えるというのも、まったくないこともないだろうと思う。